・・・・・今から、1250年前のことである。ひとりの老婆が、関金宿(湯関村)の湯谷川で芋を洗っていると、みすぼらしい身なりをした一人の旅の僧が通りかかった。旅に疲れたとみえるこの僧は、たいそう腹をすかせていたのか、
「もし、お婆さん。その芋を少しわけてくださらんか」と、声をかけた。
顔をあげた婆さんは、旅の僧があまりにもみすぼらしかったので、返事もしないで芋を洗っていた。
「のう、お婆さんご無心じゃがの。腹がすいて・・・」といいかけるのを、おさえつけるように、
「この芋はなあ、見かけはうまそうなけど『えぐ芋』といって、初めての人には口がいがむほどえぐうて、とても坊さんの口に合うものでは…」
よくばりな婆さんは、ていよく断った。
「ほう、えぐ芋と言うのか・・・口がいがむでは助からぬ、いやおじゃまさま」
すげなくことわられたが、旅の僧は気にとめるでもなく笑みを残し、静かににその場を立ち去った。その笑みが、まるで相手の心を見抜いているように思われて、婆さんはいたく癇(かん)にさわった。坊さんの後ろ姿にするどい口調で、
「何がおかしいんだ、乞食坊主めっ。こんなうまい芋を、お前なんかに食わせてたまるか」
婆さんは、坊さんへのつらあてのように、芋をかじった・・・。
ところがどうしたことか、まさに舌もまがるほどえぐい。婆さんは顔をしかめ、芋を口から吐き出してしまった。そんなはずはないと、ほかの芋を口にしてみるが、次の芋も、次の芋も・・・
「こんなはずはない、こんなはずはない」
婆さんは気が違ったようになって、残った芋を全部谷川に投げ捨ててしまった。
― 旅の僧はその夜、村の宿坊に泊った。
翌朝、谷川で顔を洗っていると、冷たい流れの中に湯けむりが立ち、ほのかなぬくもりがあることを感じた。僧が霊感により、泉源の位置を示し錫杖(しゃくじょう)を谷川に投げ込んだその場所を村人が掘ってみると、温泉がこんこんと湧き出した。
それは、川底の砂粒まで見分けられるような、それこそ女人が入浴すれば、肌を覆わなければならないような、無色透明のきれいなお湯であった。
旅の僧は、宿坊の住職の請いをうけ、この地を訪れたしるしに錫杖を境内に立て、次の巡錫へと旅を続けたという。
旅の僧は、諸国巡礼中の弘法大師であったといわれている。僧が残した錫杖は、やがて芽をふいて巨大なハネリの木となったが、昭和の初めに切り倒された。現在では、切り株を残すのみとなっている。
婆さんが投げ捨てた芋は、今でも谷川に自生しており「関のえぐ芋」として知られている。
出典:旅のつれづれに |