RAYBRIG NSX (at ’98 SUZUKA 1000km)


の車は購入から製作・完成まで実に3年間もかかってしまいました。

言い訳半分ですが,やっぱり子育てって大変ですね。そこかしこで「子供が生まれたから○○はしなくなった。」って言う話を聞くでしょ?

でも,僕は子供を理由に自分の趣味をあきらめたくなかったんです。だから車のDIYも続けたし,スキーも行くし,Webサイトの更新もするし・・・。

けど,全部こなすのは無理で,何かを削らなければなりませんでした。それが模型。さすがに子供の周りで模型を作るわけには行きません。

危ない塗料やら鋭い工具やら周りにおきますし,子供は細かい部品に興味を示さないわけがないっ!

しかし,無事子供も成長し,夜の夜長には自分の時間が出来始めました。そこで製作再開っ!2年ぶりに明けた箱には懐かしささえありました。


い起こせば,最初は苦労しました。RAYBRIG NSXの特徴的なボディカラー,レイブリッグブルーです。

これは田宮から限定発売されていたのです。私が本体を買ったのは,発売されて1年以上経った後でしたから,限定版の塗料がそこらへんのホビーショップには売っているはずもありません。

探すこと半年。某百貨店のおもちゃコーナーで何気なく見つけてしまったのです。

教訓 「希少品・絶版品はデパートのおもちゃ売り場を狙え。」

ホビーショップ・専門店には少なからず「知った人」が詰め掛けるわけですから,希少品・絶版品など,すぐに売り切れます。

卸しからそれなりに買って棚に並べるところでは,少なからず希望があるのではないかと私は推測するわけです。

さて,このカラー。私にはちょいと疑問です。RAYBRIGは何度か見ましたけど,こんなに紫がかってたでしょうか?もうちょっとさわやかなブルーだったような気がしますが・・・

そして苦労第2段。ステッカーの多さ・難しさ。良い言い方をすれば挑戦し甲斐があります。普通に言えばなんて貼り難い!まぁ,忠実に再現しようとすると こうなるんでしょうね。

ステッカーは水ではなくお湯につけて柔らかくし,更に素早い作業(さっさと作業しないと糊がはがれやすい。)で微妙に熱くしたコテを使って圧着しながら曲面に張っていくのには,相当な神経を使ってしまいました。

貼った後は、おぉかっこいい。「貼り難い」なんて苦情はどこへやら。「こんな複雑なステッカー群を田宮さんは良く再現してくれた。」と,唸ることしきりです。

クルマ全体に「RAYBRIG」の文字をあしらっています。これが難しいのなんの。集中力が必要です。仕上がったときは感激。

塗装・組上げに関しては至ってスムーズです。NSXのエンジンマウントとリヤサスなど,リヤセクションの巧みな配置がとてもよくわかるようになっています。


後に,なぜこれを購入したのか。ずばり,「あの高橋国光選手が現役生活に終止符を打った最後のマシンだから。」
当時のグランドツーリングカーレース49連勝の伝説を作ったKPGC10 GT-R,「箱スカ」で活躍した当時の高橋選手については,雑誌などで日本レース史としてしか私は知りません。

私がレースに目覚めた時には,既に高橋選手はおじさんでした。でも,高橋選手の魅力にとりつかれるのに,そう長い時間はかかりませんでした。

高橋選手の存在を始めて意識したのは1987年。ル・マンにKENWOODカラーのポルシェ962Cで参戦されていた時の事。

ドライバー交代をして962Cに乗り込む高橋選手。しかし,給油中にガソリンが洩れたのでしょうか,少し走ると,リヤがかちかち山のごとく燃えています

普通ならコース脇に緊急停止して,逃げる姿がテレビに映し出されるでしょう。しかし,このときの高橋選手は違いました。
リヤが燃え盛る車をいきなり大胆にスピンさせ、サンドトラップ上に停止。・・・なんてかっこいい止めかたなんだ。いやそれ以上に対応が早い。車を熟知し,経験も豊富だからなせる技です。

アナウンサーや解説者も,「好判断」と絶賛しています。

そして,数年後の鈴鹿・F3000(後のF-Nippon)レース。観戦しに行ったレースではもちろん,高橋選手も出場していました。

ピットウォークでの出来事。ほとんどのチーム・ドライバーはファンたちへの対応において,レースクイーン任せでした。たまに出て来てちょっと周りをまわる程度。

しかし,たくさんのファンに向けて満面の笑顔で応えている選手が一人。この人こそ高橋国光選手だったのです。しかも,レースクイーンと一緒に並んでたくさんのカメラに応えています。

F-3000は言うまでもなく,日本最高峰のレース。決勝寸前の選手は精神統一する為ナイーブになっているのは仕方ありません。

しかし,高橋選手はそれ以前にファンを大事にし,また,スポンサーを大事にすると言う意志をもっていたのでしょう

どちらも,モータースポーツの発展には欠かせない要素ということを理解しているからこそ,このような対応となったと思います。

こういった選手とマシンとファンとの触れ合いが多くもてる機会なのがピットウォークのはずです。そしてこのふれあいが憧れを生み,次世代のレーサーが育っていく・・・


れがいまや,車そっちのけでレースクイーンのおねいちゃんをクロダカリのカメラが取り巻くことになるとは・・・これで良いんでしょうかね,ニッポンのレース界。

まぁ,レースクイーンがいれば華があるし,私もレースクイーンのおねいちゃんを見るのは好きですがね。でも,最近のピットウォークの光景を見てるとふと思うんですよね。

「このサーキットの中で,純粋にレースを見に来ている人って何人くらいいるのかなぁ。」って。


ットウォークで自らピット前に立ち,ニコニコしていたおじさんが1時間後には,フォーミュラマシンを華麗に操り,若武者たちをひねり倒していきます。そのマシンにはオーラすら感じます。4,50歳のおじさんとは到底思えません。

若武者達は、このアングルを何度も見せ付けられ,追い抜こうと必死に食い下がる。クニさん,こうやって若い人たちを実践で育ててきたんですね・・・

純粋にモータースポーツを愛し,あすの日本のレース界を真剣に考える人の新しい門出を祝い,激励する為に私の手元にはRAYBRIG NSXがあります。