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レスリングWRESTLING

レスリングとは?

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原型となるレスリングの正確な起源は不明ですが、紀元前3000年には既に競技として成立しており、文武両道を旨とする古代ギリシャの名門家では競技ではなく体育としても奨励され、紀元前427年生まれの哲学者プラトンも若い頃は大会での優勝経験があるなど、この頃には既に確立されたメジャーなスポーツでありました。
このため、西洋絵画では神話や聖書などでの格闘を、レスリング風に描くことが多いのです。
古代オリンピックでは人気競技であり、他の競技よりも優位性がありました。またパンクラチオンや古代ギリシャのボクシングなど、死傷者が当たり前のように出る他の格闘競技と比べると安全であったため、個別競技の他、五輪競技の一つとしても導入されました。
古代オリンピックの終了と共に一度は下火になりますが、第1回近代オリンピックで採用されると、基本的なルールを変更することなく採用され続けています。
現在では競技開始に必要な費用の少なさ、シンプルで確立されたルール、長い歴史により充実したトレーニング方法と指導者により、世界各地に広まっています。また格闘競技の中では比較的安全性が高いというメリットもあって、子供の競技としても盛んに行われています。


ジュニアレスリングとは?

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「レスリングは知ってるけど、子供の頃からやっているとは知らなかった」という方も多いと思います。
あるいは「子供の頃からそんなことをして大丈夫なのか」、という方もあるかと思います。
しかし子供にとって決して無茶なスポーツではありません。

ルールは簡単にいうと、組み合って相手を倒し、押さえ込んで両肩をマットに2秒間マットに付けたら勝ちで
す。
殴る、蹴るをはじめ、関節を決める、首を絞める、
ひっかく、噛みつく、髪をつかむなど、危険な行為は
すべて禁止
です。
あくまで捕まえて倒す技術
、そしてそこから押え込む技術を争います


ジュニアレスリングの意義

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ジュニアレスリングの意義といっても、様々なことが挙げられると思いますが、ここでは3つの事について述べてみます。

まず、レスリングは格闘技のみならず、すべてのスポーツの基礎といってもいいかもしれません。レスリングは全身の筋力や持久力や柔軟性、更には体を自由に動かす器用さを培います。レスリングの練習の半分近くはこれらの基礎練習に当てられるくらいです。このような基礎体力は、当然の事ながらすべてのスポーツが要求する身体能力ですし、強いからだを作るという点からも非常に有効な競技です。実際、ジュニアレスリングから他のスポーツで成功した選手もたくさんいます。

次に、レスリングも年々技術が向上し、もはやジュニアから始めなければトップレベルにはいることが難しくなっています。現在の全日本チャンピオンもジュニア出身の選手がたくさんいます。そのような現状で、日本レスリング界のレベルアップにもジュニアレスリングは不可欠になりつつあります。


また、体が強くなるだけではなく、子どもたちがクラブの中で練習をする中で、あいさつや礼儀も身に付き、持続性や我慢も出来るようになり、人間関係も密になり友達も増え、社会性がついてきます。
そんなことを言っていると、また根拠のないスポーツ礼賛かと言われそうですが、実際に子供たちを見ていますと、最初は引込み思案だった子も段々友達を作るようになり、暴れん坊でどうにもならなかった子も段々協調性がつき、礼儀もできるようになり人間関係も上手になってきます。

やはり練習を一緒にしている方が学校の生活より人間関係が密接になりますし、スポーツはまさにボディランゲージですから、お互いの事がより分かってくるようです。大人の世界でもスポーツでできた友人というのは一生付き合っていくものです。そういう部分が実は一番大切なんではないでしょうか。


日本のジュニアレスリングの歴史

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日本でジュニアレスリングの試合が始めて行われたのは昭和32年のことです。西日本少年レスリング連盟会長(当時)の斉藤憲氏が、昭和30年代の始め、少年レスリングの普及を目指し、少年大会の開催を日本アマチュアレスリング協会に請願しました。そして、昭和32年4月27日東京青山レスリング会館で、第5回全日本社会人選手権大会と並行して第1回学童レスリング選手権大会が開催されました。選手は山口県から6名、東京から4名の計10名が参加しました。そして斎藤憲氏は昭和36年、山口県に日本初のレスリング道場「斎藤道場」を開設、ここで少年少女レスラーを指導し、多くの一流レスラーが生まれていきました。しかしながら少年レスリングの大会の方は、昭和32年の大会以降は行われることはなく、長らく休止状態にありました(山口県では昭和32年以降も学童大会が行われていました)。

昭和45年には元グレコローマン世界5位の木口宣昭氏が「木口道場」を開設し、それ以降は徐々に少年レスリングのクラブチームが開設されるようになりました。
昭和47年、全日本社会人選手権大会に少年レスラーの試合がエキシビジョンとして設けられ、試合が再開しました
この時には11人の少年レスラーが出場しましたが、いずれも社会人選手権出場選手の子供たちであり、
親と子供が一緒になってレスリングを楽しむという雰囲気でしたので、人々に爽やかさと深い感銘を与えました。
翌48年には正式に「少年の部」が設けられ、昭和50年頃から参加者が次第に増加し、技術的にも大きな進歩が見られました。
昭和52年には国際レスリング連盟が、ジュニアと女子レスリングの大会を公式に認め、その普及進行をはかることになったのです。

そして、昭和59年、少年大会は全日本社会人選手権大会から独立して開催されるまでになり、新たに全国少年レスリング連盟が発足するに至りました。
選手人口、クラブ数ともに、現在まで順調に増加しております。現在、全国大会は毎年7月末頃に行われ、また、各ブロックの大会、地方大会なども活発に開催されております。


倉吉レスリングクラブ

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