<Castelと最近の創始者>
ブービエの歴史に関わる本章では、ベルギー犬界の数人の傑出した名士がブービエ・デ・フランダース育成に貢献したことに対して敬意を表したいと思います。最初に、Felix Verbanck氏についてお話しします。Verbanck氏は名誉ある国際審判で、また、熱心なブリーダーでもあります。氏はベルギーのブービエクラブの幹事を長くつとめただけでなく、ブービエの後援者として大きく貢献し、合衆国を含むブービエブリーダーの相談役として活躍しました。J Du Mont氏は、Verbanck氏についてブービエ犬種の質を高めた人物だと語っています。
また、Verbanck氏は、de la Thudinie犬舎のオーナーであるJustin Chastel氏の功績を諸手を挙げて称賛しました。Verbanck氏によれば、Chastel氏は現代のブービエ犬種を改良してきた人物だということです。彼の育て上げた血統犬は、独特の特徴をもち、ブービエの血統を知るための標準となっています。Chastel氏とブービエの付き合いの始まりは1930年、名付け親からブービエを贈られたときにさかのぼります。彼の犬舎の名をもつ最初のブービエは、Lucifer
de la Thudinieでした。1943年、Chastel氏の努力の結晶であると言われている犬、Soprano de la Thudinieが生まれました。Sopranoはあらゆる選手権のタイトルを獲得しました。
その後、ブービエ‘de la
Thudinie’はドッグショーで優勝するようになり、世界中のブービエ血統の中で頭角を現してきました。また、Chastel氏も有力なアドバイザー、権威者として、この犬種の実用的な性格について力説しました。彼はブービエ種に関する記事や論文(タイトル:ブービエ・デ・フランダース、昨日と今日)の中で、その主義と見解について発表しました。
今日、多くの愛犬家は、犬種の性格、柔らかい毛並み、ショードッグの行き過ぎたトリミングなどについて心配します。従って、Chastel氏の論文から引用した、以下の性格に関する言葉は、非常に興味深いと思われます。:ブービエには‘しゃれっ気’のかけらもない。その魅力の多くは性格にある。毛むくじゃらの眉毛を通して人間の顔をよく見て御覧なさい。この特徴がなかったら、一体、彼に何が残されているでしょうか?
もう一人の有名なブリーダーはFelix
Grulois氏です。彼は犬舎du Posty Arlequinのオーナーで、また、Chastel氏とともに仕事をし、1960年代初期から多くの犬を合衆国に輸出しました。彼の犬舎は1954年に創設され、現在も活動しています。
<血統の近い犬種、ブービエ・デ・アーデネス(Bouvier des Ardennes)>
多くのブービエ愛好家は、1910年以降により小型の犬、ブービエ・デ・アーデネス(Bouvier des Ardennes)が開発されたことを知りません。他のフランダース犬と同様、アーデネス(Bouvier des Ardennes)も小型の体格で、粗い毛皮を持つ牛追い犬ですが、本来、はさみを入れられていない立った耳をもっています。Louis Huyghebaertは1948年、ブービエの歴史に関する論文の中で以下に様に述べています。「リトルブービエと呼ばれています。このブービエは、シェパード犬と大型かつ背の低いブービエの中間種と推定される。」ある専門家は論文中で、「この犬種の血統は途絶えたと書いています。」また、別の専門家は、「このような犬種は絶対に存在し得ない!」と述べています。彼らの考えは完全に間違っています。リエージュ(Liege)およびリュクサンブール(Luxembourg)地方に源を発するこのベルギー犬種は、FCIによってその存在が確認されています。ブービエ・デ・アーデネスはブービエ・デ・フランダースよりも従順で、身が軽いため、農家で飼われています。牛を集めたり、駆り立てるためには、彼らはシェパードを使っているのです。どうやら、ブービエ・デ・アーデネスは東ヨーロッパで実際に仕事をしている最後の牛追い犬のようです。
<イギリスのブービエ・デ・フランダース>
早くからイギリスに子犬は輸入されていたものの、ブービエ・デ・フランダースが著名な犬舎‘de la Thudinie’から実際に輸入されるようになったのは1972年でした。1980年、グレートブリテンのブービエ・デ・フランダースクラブが結成され、ケンネルクラブ(Kennnel
Club)に公式に承認されました。ブービエはオランダ(有名なvan Dafzicht犬舎)から、あるいは、合衆国から輸入されました。1981年以降、その人気は上昇しました。登録された犬の頭数は増えていき、イギリスでブービエが日常的に見られるようになりました。1988年、ブービエ・デ・フランダースクラブは初めて性格テストをまとめました。同年、ブービエはクラフツドッグショーで挑戦証明証(challenge certificate)を獲得し、選手権に参加できる資格を手に入れました。
<北アメリカのブービエ>
第一次世界大戦からの帰還兵たちが、アメリカに初めてブービエを持ち帰ったといわれていますが、当時、北アメリカ大陸で高い評価を得ることはありませんでした。また、長年、ベルギー、フランス、オランダから人々が移住し、彼らがブービエを北アメリカ大陸に持ち込んだとも考えられます。このような可能性にもかかわらず、ブービエの育種については記録に残っていませんでした。
1929年、ブービエは、公式にアメリカケンネルクラブ(AKC)によって確認され、1931年、血統記録登録簿(Stud Book)への記載が許可されました。米国ブービエ・デ・フランダースクラブが1963年に設立され、1971年、AKCのメンバークラブになりました。
第二次世界大戦以前から、ブービエはヨーロッパから日常的に輸入されていましたが、登録頭数は多くありませんでした。アメリカにおいてブービエの歴史が実質的にスタートしたのは、1942年、Edmee Bowlesと彼女のブービエ、ベルコ(Belco)がこの国に到着してからでした。ミスBowlesはフランダースの住人で、1899年ベルギーのアントワープで生まれました。彼女は戦争中レジスタンス活動に参加していましたが、ドイツの侵略から逃れるために、故郷を離れました。1932年、彼女は‘du Clos des Cerberes’犬舎をアントワープの近くのSchildeに設立しましが、アメリカに来て新たな人生を歩みだし、ペンシルベニア州、カレッジヴィルに居を構え、ブービエ品種改良創設者としてアメリカで知られるようになりました。
彼女の犬舎名は非常に独創的でした。Closは「閉じ込められた財産」という意味です。Cerberusは、ギリシャ神話に登場する「3つの頭を持つ犬」をという意味で、この犬は黄泉の国へ続く入口の門番をしています。フランス語では、Cerbereは、厳格で手ごわい守護神を暗に意味しています。
ヨーロッパの交配用犬種は、主に、ベルギー、オランダ、フランスから定期的に輸入されました。そして、輸入頭数の増加とともに、1960年代後半からブービエの人気は急速に高まっていきました。その当時の北アメリカでは、Justin Chastel氏のde la Thudinie犬舎の犬たちが圧倒的な数を占め、Felix
Grulois氏のdu Posty Arlequin犬舎の犬たちが肩を並べていました。しかし、オランダでブービエ・デ・フランダースの人気が非常に高くなったため、1980年以降オランダからの輸入が圧倒的に多くなり、オランダ系血統種が大半を占めるようになりました。
カナダでは、1960年に初めてブービエの子犬たち(同腹子)が登録され、現在、ブービエ・デ・フランダースは人々の間に強い印象を与えています。この犬は多様な資質をもち、作業犬として一流であるだけでなく、ショードッグあるいは家庭用ペットとしても向いていることから高い評価を得ています。
最後に、英語圏および他の国々で活躍した最も優れたブービエの後援者の中の一人である、James R Engel氏についてふれたいと思います。Engel氏はアメリカ人のブリーダーで、また、訓練士、犬を専門とする執筆家でもあります。彼は世界中の著名なブービエ育成者との関係を築きました。彼の行った努力、特に、作業犬としてブービエを宣伝したことについては、言葉で語りつくせないほどでした。
<ヨーロッパ大陸のブービエ>
ヨーロッパ諸国では、1980年からの20年間ブービエ・デ・フランダースの人気が徐々に高まってきました。この犬は、もともとの産地であるベルギーとフランスでは非常に大事にされ、オランダでも人気があります。
ベルギーの一年ごとの登録頭数では、ブービエ・デ・フランダースは、ジャーマンシェパードとベルギーシェパードに次いで3位を占めています。1990年代の10年間、毎年およそ1100頭のブービエが登録されてきました。1922年に設立されたベルギー ブービエ・デ・フランダースクラブは、この国で最も活動している団体です。
1980年代のオランダでは、ブービエは最も人気のある犬種でした。ヨーロッパ大陸では実際に信じがたいことなのですが、当時、ジャーマンシェパードよりも人気が高かったのです。1984年、10,000頭以上の犬が登録されました。その数は徐々に減っていますが、近年でも5番目の人気を誇っています。その人気ゆえに、オランダは世界でも有数のブービエ育成国になりつつあります。オランダ血統種と犬舎(‘van Dafzicht’,‘van de Overstort’, ‘van het Molengat’ ‘van de Vanenblikhoeve’など)は有名になり、数多くの犬たちがアメリカに輸出されました。しかし、ショードッグと作業犬という、性格、体格、毛皮の異なる2種類のタイプのブービエが存在るために、ある問題と論争が起こりました。
1970年代初頭、審判は、いわゆるオランダタイプおよびフランス-ベルギータイプのブービエについて議論しました。しかし、私たちはこの問題を大げさにとらえるべきではないと思っています。何年も前に、これらの既存する犬種はブービエ・デ・フランダースという一犬種としてまとめられたからです。また、交配改良の結果生じた特徴をオランダタイプ犬が持っており、これら2タイプを統合する多くの処置がとられていることを、ブービエ専門家たちは認めざるをえないでしょう。現在飼われているブービエの性格は、内気でも攻撃的でもありません。むしろ、自尊心が強いといった方がいいでしょう。彼らは社会的コンパニオンとして順応し、あまり犬たちにとって住み心地のよくない社会で必要な資質を持ち合わせています。だからといって、その性格は‘柔弱’ではないのです。
フランスでは、ブービエは決して人気の高い犬種ではありませんが、作業犬、番犬、あるいは、家庭用犬として評判が高く、その価値は認められています。フランスのクラブは活発に活動し、情報誌を出版しています。
ドイツでは、ブービエの年間登録数は期待はずれで、200頭を少しこえる程度です。けれども、熱心なブービエ愛好家たちが、あらゆる活動や季刊雑誌(Bouvier aktiell)を通じて宣伝を行っています。
スカンジナビア諸国、スペイン、イタリアでは、ブービエの名はよく知れられ、高く評価されています。これらの国々におけるブービエ・デ・フランダースクラブの活動は活発で、独自のショーが定期的に開催されています。

