大将と東風荘

99年3月 初めて東風荘に出会う。いや、存在自体は知っていたが、なんか、インターネットで賭け麻雀もイヤだなと、漠然と避けていた。しかし、やりだすとすぐにはまりよった。あほや、ほんまにあほや。ちなみに初上がりが国士無双で、当然トップでした。

*回数を重ねるに従い、だんだんと東風荘の仕組みがわかってくる。100回を越えたら、当然上ランに進む。ちなみにRは、1768だったと思う。なかなかでしょう。この当時我が家の電話代は25.000円を超えていました。後自慢できることといえば、ラン卓で、みぎわ♪さんと対戦していることですかね。


*100回を越えたようなころ、higashi5に出会う。彼は、東風荘の一種のアイドルで、気軽でとてもいい奴です。HNは、さんざん変えてるみたいだけど、なんとなくわかっちゃうのが、不思議なんだよね。俺が、R2000を目指すと言ったら、まだまだ大波小波が待ち受けていることを予言。この後、160回ぐらいまでにR1963までいったあと急降下、1600台まで落ちる。この当時のHNドサ建参上。その後R1800前後で、一進一退、1000試合位まで続く。

*俺が、1800前後なのに、間違いなく1900以上の奴がいるということは、自分の打ち方に欠点があることに気づく。少し、押さえ気味に打つことを心掛けたら、Rが、1930前後で安定。上は1998、下は1868ということで、3000試合位をこなす。いわゆる強豪の仲間入りしたわけだ。しかし、依然として、R2000は、届かず。


*この当時は、あんたが大将というHNを使っていました。人の自分勝手な打ち方を、皮肉る意味合いのHNです。ただ、なかなかいい感じのHNでしょ?人から見たら、私の打ち方が強気なことと相俟って、私自身が大将って言う意味だと思われることも多いみたいです。


*始めてから、まだ一年経ってない段階なんですが、徐々に打ち方に改良を加えていきました。成功した改良もあり、失敗した改良もありで、本当のところは、何がプラスに作用したか、あるいはマイナスに作用したか、定かではありません。そうしたなか、より場に即した打ち方を心掛けるようにしました。ほとんど、場しか見てなくて、自分の手番の時だけ、自分の手を見るような感じです。牌姿は、頭の中に入れ込んでるような感じですね。うーん、この打ち方だと感じるものがありましたね。のり巻きさん、立ち会いのついに念願のR2000を達成いたしました。ちなみに、この段階ではまだ、超上級卓は、出来ていません。現在のR2000は、大した値打ちがあるもんじゃないですからね。ただ、この打ち方は、集中力と心と頭のバランスを必要にします。非常に疲れる打ち方とも言えます。

*この当時の雀友を、思いつくままに書いてみます。
まず、higashi5くんですね。東風荘で、初めて出来た友達ですね。誰にでも話しかけ、親しみを抱かせる奴です。彼は東風荘初期からのメンバーで、なにやら、第一回大会で、あのパルム~新宿さんに次ぐ2着だったと自慢してました。麻雀の方は、なかなか手作り上手です。攻め込まれても、相手の待ちを一点に絞り、勝負を掛けてきます。勝負に快感を覚えるタイプなんだろうな。自然と好不調の激しいタイプで、いつかは爆発がキーワードかな。実際、HNを仕切り直して30試合ぐらいで、1500から2000まで、Rを上げたこともあるみたいです。彼と打つときは勝負を度外視して、チャット中心で打ちますから、負け越しています。まー、サービスですな、さーびす。最近は、第3に行ってるのか、ほとんど見ませんが、また帰って来いよ。第一に。

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