歴史のみち Top へ

15.八橋往来の跡

国庁裏神社境内に沿った北側の道
国庁裏神社境内に沿った北側の道

 古代から平安末期までの駅路であった山陰道は、国府の所在地から推測すると、上井を経て倉吉に至り河原町付近から小鴨川を渡って社の国府に達していたものと考えられている。
 江戸時代に入ると流通経済の発達などにより、倉吉を中心として四方に道が開け、八橋往来といわれる倉吉・八橋間は、最初 倉吉〜国分寺〜下米積〜下種〜岩坪〜金市〜八橋と火山灰台地上を通っていたが、のちに、倉吉〜出口〜和田〜上神〜瀬戸〜由良〜八橋に改められた。
 最初の道は、交通の発達などに伴い今では判然としないところも多くなっているが、国分寺に所蔵されている「国府」の古地図によると、国府集落の南側端に八橋往来が描かれており、この道と思われるものは八橋往来の跡として地元で語り継がれ、古地図のとおり現在も国府集落と国分寺集落との境となっている。
 この外に、国分寺地内の国庁裏神社境内の森倉吉市の保存樹(林)に指定されているが、境内に沿った北側の道は、隣の国庁跡にも通じており、八橋往来当時の風景を色濃く止めている。

国府集落と国分寺集落の境の道国府集落と国分寺集落との境の道