12.四王寺
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| 四王寺山山頂の四王寺 |
867年(貞観9年)伯耆、出雲、石見、隠岐、長門の5か国に対し、朝廷から四天王像各1鋪が下された。
それは、新羅の海賊によって北九州、山陰沿岸の各地は、脅威に対して、海岸防備体制強化の諸施策が講ぜられ、その1つが四王寺の建立であり、その尊像を安置する仁祠の建立と賊心調伏のための修法とが、それぞれの国司に命じられた。
伯耆四王寺は、日本海を見下ろす絶好の地である四王寺山山頂に設置され、その後海賊は消滅したが、その要因は四天王像が海を睨んだからとつたえられる。
しかし北条の漁民は海が荒れて困り果てたという。そこで寺を東に向きを変え今の位置となった。
これにより荒れた海は治まり、やがて商売が繁栄し(四天王の御利益)、四王寺山は「しほっつあん」と言われ「市」が開かれるようになり大いに賑わった。四王寺は1931年(昭和6年)2月失火により焼失している。
縁日 春・旧暦 2月5日 夏・新暦 7月20日
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| 多聞天 | 広目天 | |
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| 持国天 | 増長天 |
※4体とも1931年(昭和6年)火災により焼失