國廳裏神社

歴史のみち Top へ

6.國廳裏神社

正面から拝殿
國廳裏神社拝殿

 倉吉市国分寺字宮ノ峯に鎮座する旧県社
 707年(慶雲4年)創建された國廳裏神社のことが歴史に最初に現れるのは873年(貞観15年)である。「三代実録」によると、この年4月5日、それまで無位であった國廳裏神社に従五位下の神階を授与されている。
 江戸時代中ごろの著作である「伯耆民談記」「総社大明神」と記し國廳裏神社が総社であったことが、これによって判る。総社には、寺院や荘園や郡郷の総社もあるが、これは伯耆国の総社(国司の事務が多くなり、伯耆の国の各神社を巡拝することができなく、そのため国中の各神社を一社に集めて代表神社として祭典を行うこととなり、この代表神社を総社といった。)であったと考えられる。
 総社は、国庁の近くに置かれるのが一般的であるが、伯耆国の場合は国庁の中に所在している。
 国廳裏の裏は、内裏の裏(うち)である。
 今の本殿は、江戸初期に建立されたというが一定しない。1879年(明治12年)に改築され、1999年(平成11年)には屋根の葺き替えを行っている。
 広さ12,000uの境内の樹木(松・杉・モミ・桧など)は、「伯耆国府の森」として倉吉市の保存樹(林)に指定されている。

側面からの本殿平成11年4月の遷宮