この『上灘郷土かるた』は、昭和8年当時、上灘小学校長であった峯地光重先生の指導で、子どもたち(当時5年生)が製作したものである。
峯地先生は、郷土(上灘) の自然・社会・文化等のすべてを教育の場とし教材としたいわゆる『郷土教育』を提案し、実践された人なのである。
先生のこの『郷土教育』の営みは、上灘地区ぐるみのものであった。その一つに郷土室の設置(昭和5年)がある。先生は、広く諸資料の寄付を校下に呼びかけ「信仰・風俗・考古資料・居住に関するもの」「郷土の人物および、郷土に関する著述類、生産に関するもの」等々を収集された。その数235種、924点に及んだともいわれる。(今も、その目録が残っている)
このことからしても、先生の『郷土教育』が、子どもばかりではなく、上灘地区民を巻き込んだ教育であったことがうかがえる。(これ等の資料は、昭和15年の火災ですべて焼失した)
郷土室を設けた概況説明(理由)の中に、「吾々は、世界人である前に先ず郷土人でなければならぬ。世界の単位であり縮図である郷土を知ることこそ同時に世界に通ずることでもある」云々のことばがある。
『上灘郷土かるた』は、こうした『郷土教育』の土壌の中で、当時の5年児童が『上灘校加留多』として共同制作したものである。
この度、上灘地区振興協議会が、この『上灘校加留多』を、「ジゲづくり」事業の一環として複製(復活)することにした。ところが、当時製作されていたはずの絵札がどこにも見当たらず、やむなく、現上灘小学校こども会に依頼して製作してもらった。また、読み札に解説をつけてイメージづくりの一助とした。いずれも、50余年経った今日、製作には全くかかわりのない者の単なる推測である。峯地先生はもとより、当時の児童諸君の願いや重いとは程遠いものではなかろうかと危惧する。
ただ、願わくば、この『上灘郷土かるた』が、上灘(郷土)の古木をたずね、新しきを知るはずみとなって、郷土への親しみと愛着がより深まることを・・・・・・。
上灘地区振興協議会 |