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| Vol.24 私が心を寄せる杜氏達 |
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お酒を造る人々のリーダーを杜氏(とうじ、または、とじ)という。
その流派は全国に散らばる「杜氏集団」の数だけある。現在、酒造りをしたいという人々は幸いにして少なくは無い。だが、杜氏集団は高齢化し、幻の杜氏集団になろうとしているものもある。
若い造り手を杜氏へという当たり前の考え方もあろうが、なかなかその仕事に耐えうる能力のある若者は多くはない。
現在、杜氏不足の中で、若手蔵元が自ら杜氏をかってでて、地元で造り手を採用し、お酒を造る蔵元も増えてきている。
余談だが、そういう若手蔵元は、割りにパフォーマンスがお上手で消費者の方々と積極的に交流し、自社のお酒をアピールし上手く販売に結び付けていらっしゃる方も多く見受けられる。そのお人柄で、売る、それも結構だが、酒質がイマイチ、、、いやイマサン位のお酒も、残念な事に数多く見受けられる。
そりゃ、もてはやされれば、「これで売れるんだ」と向上心を失う事だってある。
話を元に戻そう。
高齢化した杜氏社会の中に、自ら飛び込み、修行を積み、そして別の蔵に移ると同時に杜氏として赴任した人物がいる。または、異例ではあるが、誰の下にも付かないで、初めから杜氏になった人物がいる。
ここに三人の若手杜氏を紹介する。経歴は知る限りで記す。
●石川達也 竹鶴酒造株式会社(広島;酒銘「竹鶴」) 42歳
彼は、文系の大学在学中に、埼玉の神亀酒造に蔵入り。蔵仕事をしながら大学卒業。何造りか修行した後、生まれ故郷の広島に戻り、自分の造りたいお酒に合った規模の蔵、竹鶴酒造に入社。(季節雇用ではない)
彼の造る酒は、実に自然に忠実。だから飲む人間も肩が凝らない。見た目は頭がでかいが、造りは頭でっかちじゃない。古い計測値にとらわれたりしない。味わいのバランスに注視する。和食に留まらず、全世界の料理を視野に入れた味は、現代のバラエティに富んだ食生活に合致する。
●加藤克則 久保本家酒造株式会社(奈良;酒銘「睡龍」) 47歳
もとは、橋げたなどを造る人だった。鉄材を加工したり、施工したりしていたそうだ。九州の井上合名(三井の寿)で修行し、埼玉の釜屋で杜氏(やはり年間雇用)に。ここで、数々のヒット商品を創り上げるが、事情があり退社。その後現在の久保本家酒造へ。
彼は現代の「生もと造りの名人」の一人である。力強いが繊細なお酒は、素材の味を活かした料理に合う。
遊ぶ時には遊べ、その代わり造りに手を抜いたら絶対に許さないというそんなある意味わかりやすい彼の指導は、若い造り手の心を掴む。
●中島敬之 有限会社太田酒造場(鳥取;酒銘「辨天娘」) 39歳
太田酒造場、太田家の親戚。ここの蔵は、10年間ほど休蔵(酒を造らなかった)していた。復活にあたり、白羽の矢が。彼は一度も酒を造った事はなかった。また、誰にも師事したことがなかった。一年目の造りの時、彼の手には上原浩先生の書かれた本があるのみ。その一冊の本に忠実に酒を造り上げた。満点とはいかない酒だが、そんじょそこらの杜氏よりはるかに素晴らしい酒を造った。
今年で、四年目の造りとなる。規模こそ極小だが、初年度の倍以上の量(タンク本数)を仕込んでいる。本数と同時にその腕も伸びている有望株。
関西、関東でその人気に火がついている。
当然、他の多くの杜氏達も素晴らしい。
ただ、彼らの年齢を考えれば、確実に私が飲める間は、旨い酒を造ってくれそうである。
三人とも小細工はしない。全幅の信頼を寄せ、彼らの造る酒を信じ飲みつづけられる。そんな杜氏に出会えたのは幸せな事である。
*経歴等に間違いがあれば教えてください。すぐに訂正します。
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(2006/01/16) |
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| コラム : 「(有)山枡酒店」 倉吉市新陽町11−2 |
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