ローズ嬉し涙の55号本塁打 歴史的1発だ

 世界の王についに並んだ。近鉄タフィ・ローズ外野手(33)が西武松坂から今季55号本塁打を放ち1964年(昭和39年)に巨人王貞治(現ダイエー監督)が作ったシーズン最多本塁打記録に並んだ。あす26日のオリックス戦(大阪ドーム)で日本新記録と優勝を狙う。

 あふれる涙をこらえきれなかった。スタンディングオベーションで祝福した超満員4万8000人の歓声を聞きながら、ローズはベンチの一番後ろでタオルに顔をうずめていた。「6試合だったけど、長かった。達成できた喜びがこみあげてきて…」。

 ついに出た。やっと出た。歴史的瞬間は、2点を追う5回1死だった。カウント1−1から西武松坂の144キロの外角カットファストボールを強引に引っ張った。64年に王が作った日本記録の55本に並ぶ1発は、弾丸ライナーで右翼ポール際に飛び込んだ。「打った瞬間に入ったと思った」。12日のロッテ戦の第1打席目に54号を打って王手をかけてから、7試合33打席ぶりの快感が突き抜けた。

 見えない重圧に本来の打撃を崩されていた。王手をかけた後は、試合前からテレビカメラが後ろを追い、1打席ごとにファンの声援が大きくなった。「54本までは、ホームランのことは考えなかったが、あと1本になってから意識してしまった。スイングが大きくなっていた」。2冠王を獲得した99年の好調時のビデオでフォームをチェックしたり、米国にいる1人息子カールJr.君への毎日の電話で気持ちを静めてきた。

 だが、何より支えになったのが、チームの優勝争いだった。昨年までは、浮き沈みの激しい性格が災いして集中力が切れるシーンも目立った。それも今年は違う。「自分が打てなくてもチームが勝っているから、気持ちが切れない。本塁打の量産も優勝争いが最大の要因」。獲得にあたった市原実編成部部長(51)は言う。メジャー通算6年で13本塁打の平凡な男が、近鉄での6年で大変身した。

 9回、サヨナラの56号新記録弾が期待された場面は、松坂の前に三振。だが、その直後に飛び出した中村のサヨナラアーチに、ローズはベンチから真っ先に駆け寄って抱きついた。「自分自身にプレッシャーをかけなくても後ろにいい打者がいる。あらためて感じたよ」。そう言うとまた涙がこぼれた。試合は中村の1発で劇的勝利。ローズは迷わず答えた。「絶対に優勝する」。流ちょうな日本語で2回、叫んだ。最強助っ人の目に、また涙があふれる日が来る

ローズ(Tuffy・Rhodes=本名・カール・デリック・ローズ)

生まれ 1968年8月21日、米オハイオ州シンシナティ。
サイズ  183センチ、93キロ。左投げ左打ち。
球 歴
 6歳のときリトルリーグで始める。7歳のとき、ボールが目に当たっても試合に出場したことでコーチから「タフなやつ」と言われ、現在の愛称タフィになった。
メジャー
 86年、アストロズから2巡目で指名され入団。90年にメジャーデビュー。カブスに移籍した翌94年、開幕メッツ戦でグッデンから3打席連続アーチ。95年途中にレッドソックスに移籍。メジャー通算225試合590打数132安打、44打点、13本塁打。2割2分4厘。
2冠王
 96年近鉄入り。4年目の99年、40本塁打、101打点で2冠獲得。
趣 味
 ツーリング。日本でも2年目から本拠地にはバイク通勤。今年、150本塁打を記念してカワサキの1500CCのアメリカンタイプを購入。
大阪弁
 「3年目ぐらいから話せるようになった」と、今では日本語も堪能。「何でやねん」が口癖。グラブと手袋には「狼主(ローズ)」の刺しゅう。
球場で挙式
 92年9月1日、3Aツーソン時代にスチュワーデスだったソンジャ夫人と7000人の観衆の前で結婚式。子供はカールJr.君(7)。
お 酒  赤ワインが大好き。
ヘアスタイル
 今季は「初心に帰る」と来日1年目のアフロヘア。7月からコーンロールヘア(とうもろこし巻き)に。2万3000円かかるとか。
推定年俸 1億7850万円。
警備員がキャッチ
 ローズの55号ボールを受け取ったのは、大阪ドームの球場警備員(38)だった。打球は、右翼席ポール際の「19列471」「472」の間に直撃、警備員がキャッチした。座っていた金森征三さん(62)晴子さん(60)夫妻は「キャッチできると思ったんですが…」と、残念顔。ボールは球団側に届けられた。

(写真=試合後の記者会見に臨んだ近鉄ローズは、感極まり目頭を押さえた)