![]()
| 11月へ 1月へ | |||
|
|
|||
| 2004年 12月 23日(木) 今日までの日記が1週間空いてしまった。 書いてはいたものの更新もできないままにいた。 それは、16日から始めた新サイトの方にかかりっきりになっていたからである。 正直に言えば、すでの12月にはいってから構想は始めていて、すでにWebに公開はしていたが、それを誰にも知らせていなかったというかWeb仲間だけの知るところとなっていた。 ということで、掲示板にも書いたとおり、メールマガジンの発行を始めることにした。 内容は掲示板に書いた通りなので、もし希望する方があれば、この宛先にメールで送って下されば詳しいことをお知らせします。 ということで、こちらの日記の方がしばらく留守になることもありますので、ご了承下さい。 新しいホームページは、「心を幸せにする広場 ハートフル」です。 このサイト同様、こちらもよろしくお願いします。 |
|||
|
|
|||
| 2004年 12月 16日(木) 今日から、というか正確には昨日からであるが、新しいサイト作りを始めた。 一人で一日中家の中にいること自体には慣れてきたのだが、何かの目標が欲しくなった。 何かを始めたくなった。 その何かが、新しいサイト作りである。 まだ始めたばかりだが、今までよりも一日の中にリズムというか張りというか、誰からも評価されないのであるが、何となく充実感というか満足感はある。 「自分は、今日はこんなことをしたんだ。」 「昨日の自分より今日の自分は違った自分になっているんだ。」 と、そんな思いを持つようになってきた。 幸い、サイト作りについては、このサイトのように作ること自体に楽しみがある。 自己満足かもしれないが、このサイトのお陰でいろいろな人との関係が生まれ、自分の方が励まされ、勇気づけられてきたというのが本当である。 自分のことを語れる場である「ありもままに☆あるがままに」を作ったことが、生きる励みでもあり、支えにもなっていることは確かである。 このホームページがあったからこそ、今の自分が存在できていると言ってもいい。 今は新しいサイトの構想が頭の中に浮かんできている。 しばらくの間は、夢中になれることが見つかったので、前向きに進めそうである。 |
|||
|
|
|||
| 2004年 12月 14日(火) 今日も体調の方は悪くない、ただ毎日が当たり前のように、何もなかったかのように過ぎ去っていく。 自分の存在はどこにあるのか。 自分は社会の中の一人として存在しているのか。 自分がいなくなったとしても、しばらくのあいだは自分と関わりの深い人にとっては変化があるだろうが、また当たり前のようになるのだろうと考えたりする。 とにかく、毎日が当たり前のように過ぎ去っていっているだけである。 自分の存在の有無に関わらず、社会は動き続けているし、これからもその動きを止めることはないであろう。 「今」の自分にとっては、毎日が平凡すぎて、こんなことを考える時間も少なくはないのである。 |
|||
|
|
|||
| 2004年 12月 13日(月) ある方から、「こんな言葉を何かで読んだことがあります。」と言って、掲示板に書き込みをいただきました。 『「桜は美しく咲こうとして咲いているのではない」 桜というところは、花だったかも知れませんが・・。 とても印象に残る言葉でした。 花や草は、誰の注目を浴びずともただ生きて、そこに在ることのすごさを感じ、日陰で命の力のあるがままに生きている草に心を打たれました。 彼らは(草は)人に認められようとしているわけではないですよね。 なんとしてもやらなければと、責任を強く感じて咲いているわけで はないんですよね。 虫や川の水の流れや、空の雲や風も、そうですね。 私もそうありたいと思いますが・・なかなかできません。 ついつい使命感持ってしまいます。 』 という内容でした。 自然の中で生きている自然のモノたちは、当に自然のまに、ありのままに、あるがままに生きている。 人は、自然の中の一員でありながら、自分を演じ、他者からの視線や評価を気にしながら生きている。 もしかしたら、『「そういう生き方」が人の自然な生き方なのかもしれない』という人もあるかもしれない。 しかし、私は、「そうではない。」と思っています。 人も自然と同じように、自分を生きたらいい。 自分らしく生きることが一番素晴らしいことです。 日々のくらしの中で、責任や義務感を感じ、どうしても自分に無理をいわせて動いていますが、自然の姿に学び、人間としての生き方を大切にしていきたいと思っています。 今の(うつ病である)自分は、自分の生き方をふり返り、見つめるいい機会だと受け止めています。 これからも、自分らしく いきるために。 |
|||
|
|
|||
| 2004年 12月 7日(金) 今日もまた、何事もなく一日が過ぎ去っていった。 時間だけが昨日から今日、今日から明日へとつながっていく。 毎日が、一日一日のつながりで進んでいっている。 自分は確かに存在している。 存在していることに価値があるのだ。 生きていることに価値があるのだ。 生き続けることに大きな意味があるのだ。 社会の中の一員として直接的な影響はないのかもしれない。 しかい、今、ここに、このようにして生きていることそのものに価値があるのである。 生きていることだけで頑張っているのである。 これ以上頑張ることは止めた自分であるが、毎日が当たり前すぎて、平凡すぎて何かを求めたくなっている自分に気づくことがある。 ワガママと言われようが、自分勝手だと言われようが、自分は自分の生き方をしたいと思っている。 自分の道を進みたいと思っている。 しかし、今、そのことでとても迷っている。 明日からのこと、そして将来の自分の姿に対して、何を求め、何を生業として生きていくのか。 これからの自分の行くべき道について、とても迷っている。とても不安である。 自分が自分であることは、自分に対して素直であることは、ありのままの自分でいることは、他社にとってはワガママだとか自分勝手だとか言われても仕方がない。 自分が自分らしく生きていくことが一番大切なこと。 しかし、他社との関係も大切にしていきたい。 人とのつながりを作っていきたい。 自分の人とのネットワークの輪を広げていきたい。 自分一人で生きているのではないのであり、常に他者との関係性の中で自分の存在があるのである。 だから、ある程度の共通点や妥協点を探りながら関係作りをしていかなければならない。 今の自分にとっての課題はそのあたりにあるのであろう。 自己コントロールというか、いいバランスがとれないで、結局無理をしてしまっているのだ。 もっと、自分を語り、自分を出していこう。 ワガママと言われようが自己中心的だと言われようが、自分は自分なのである。 ありのままの自分に自信をもって、明日からも存在し続ける。 |
|||
|
|
|||
| 2004年 12月 6日(月) 今日から、また新しい1週間が始まりました。 お仕事の人、お疲れさまです。 ところで、みなさんは、「レッドリボン」って、知っていますか? レッドリボンは、エイズに対する理解の象徴として使われています。 “レッドリボン(赤いリボン)”は、もともとヨーロッパに古くから伝承される風習のひとつで、病気や事故で人生を全うできなかった人々への追悼の気持ちを表すものでした。 この“レッドリボン”がエイズのために使われ始めたのは、アメリカでエイズが社会的な問題となってきた1980年代の終わりころでした。 このころ、演劇や音楽などで活動するニューヨークのアーティストたちにもエイズが広がり、エイズに倒れて死んでいくアーティストたちが増えていきました。 そうした仲間たちにたいする追悼の気持ちとエイズに苦しむ人々への理解と支援の意思を示すために“赤いリボン”をシンボルにした運動が始まりました。 この運動は、その考えに共感した人々によって国境を超えた世界的な運動として発展し、UNAIDS(国連合同エイズ計画)のシンボルマークにも採用されています。 レッドリボンは、あなたがエイズに関して偏見をもっていない、エイズとともに生きる人々を差別しないというメッセージです。 このレッドリボンの意味を知り、レッドリボンを身につけることによって、エイズをみんなで考えましょう。 ということで、今日から、このホームページでも協力していこうと思って、TOPページの下の方にレッドリボンをつけました。 ■協力:財団法人エイズ予防財団 |
|||
|
|
|||
| 2004年 12月 5日(日) 今日もまた朝早く目が覚めた。 起きたときに、ふと書きたいことが思い浮かんだので、忘れないウチに綴っておきたいと思ったからである。 布団から出ると、すぐにパソコンに向かってある作文を綴っていった。 自分の生い立ちた体験などをを含めたフィクション作文である。 書き始めると、どんどん書き進んでいき、一気に仕上げてしまった。 なんだか、ひとつの大仕事をし終えたような充実感というか達成感を味わうことができたようであった。 午後からは、あるBlogの更新をしていった。これがまた実に楽しいのである。 Blogの仲間同士で交流をすることができるようになっているので、毎日何もすることがないときには、すごく便利に使っている。 こちらが発進すると返事が返ってくるのがいいところである。 メーリングリスト、掲示板と並んで新しいツーウェイシステムと言えよう。 そして、寒くなってきたのでストーブの準備をした。 今日も、心身共に体調はいい。 |
|||
|
|
|||
| 2004年 12月 3日(土) 今日は、幸せについて考えていた。 今、自分の置かれていることは、幸せなのか不幸せなのか。 病気で仕事を休んでいることは、幸せなのか不幸せなのか。 仕事はしていないのに、毎日の暮らしが進んでいることは、幸せなのか不幸せなのか。 朝起きて、日が昇り、夕方になあると日が暮れて一日が終わること、幸せなのか不幸せなのか。 などなどと、幸せについて考えていた。 以下も、同じメーリングリストに送った投稿である。 生きていると、本当に辛いことばかりだと思うことが多いですよね。 しかし、誰でもが幸せになることができます。幸せになる権利を持っているのです。 誰でもできること・・・ それは、夢を「持つ」ことです。 どんなときだって、辛いときだって「夢をもつ」ことはできるはずです。 夢をもって生きるのは幸せなことです。 夢が実現したことを考えると幸せの予感を感じることができます。 希望をもって明るい気もちで、イキイキと生活することが可能です。 夢の実現への過程への過程で、様々な幸せを感じることができます。 夢があれば、充実感を感じられる生活することが可能です。 夢をもっていることを自覚して生きている人は幸せです。 夢が実現すれば強い幸福感を味わうことができます。 夢があれば、不幸になっている時間が減るでしょう。 夢があるのなら、小さなことでくよくよしているヒマはありません。 ささいなことにかかわっているより、 夢へ向けて前進するほうが大事でしょう。 夢中になれることがあれば、イヤなことは忘れられます。 夢に向かって一生懸命に努力した後での失敗や挫折は一時の不幸です。 人生の不幸ではありません。 長い目で見ると幸せな出来事ですらあります。 一生懸命に打ち込んだという経験は人生の宝物です。 夢へのチャレンジで、自分を育てることができるでしょう。 夢をもつことは、今の幸せです。 夢をもっている今が幸せなのです。 そして、将来には大きな幸せを運んでくれるかも知れません。 |
|||
|
|
|||
| 2004年 12月 3日(金) 今朝も寝起きの気分は良くて、少し早いくらいに目が覚めてしまった。 仕事のある日よりも休みの日の方の目覚めがいいのは、かなり精神的な原因があると確信している。 今朝も肌寒く感じたが、例年よりは気温も高く通院にはいい日和であった。 このところ調子もいいので、今の様子を続けていくことが大切である。 今、うつ病関係のメーリングリストに参加しているが、以下、そのときに登校した相田みつを氏の詩である。
相田みつを氏は、私の尊敬する人のひとりであるが、上のどちらの詩にも惹かれるものがある、どちらの詩にも何ともいえない深いモノを感じるのである。 人が自分の内面を感じるとき、自分自身に素直になれること、そのときにはじめて自分の内なる声を聴き取ることができるのだと思う。 |
|||
|
|
|||
| 2004年 12月 2日(木) 今朝は、体調もよく、気持ち的にはいい感じで目が覚めた。 休職期間に入ってからは、なんとなく一日が始まって、なんとなく一日終わっている感じであるが、今はそれでよしとしている。 前回の通院時に言われたように「〜しなさい」という要求は今は受けることはないのである。 「〜したい」ということも少しずつ出てきたので、今月からは、そっちの方をぼちぼち始めてみようかと考えている。 このホームページの更新も、その時々の自分の思いを残していく意味でも、のんびり気長に続けていこうと思っている |
|||
|
|
|||
| 2004年 12月 1日(水) 今日から、12月がはじまった。 11月の再発から1ケ月過ぎ、いろいろなことが頭をよぎるが、いまはとにかく休むこと。 自分がしたいことだけに絞ってやってみること。 そう考えて休職期間を過ごしている。 |
|||
|
|
