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| 2004年 8月 31日(金) 今日で8月も終わる。 いつもの年なら今日が夏休み最後の日となるのだが、今年は勤務先が変わったこともあって、日常的な8月最終日である。 毎年の事ながら、この時期が一番寂しいときである。 夏が過ぎ去った後のなんともいえない寂しさが押し寄せてくる。 と同時に、長かった夏休みも終わるというダブルパンチなのである。 この夏の期間中も、掲示板やメールで何人かから精神疾患についての相談を受けた。 みなさんの悩みを読んで、自分の体験を振り返りながら自分の思いを返信している。 実は、このこういも自己実現のひとつになっている。 このように自分の存在、このホームページが役に立っていることが嬉しい。 だから、うつ病になったことに感謝している。 うつ病になった自分が大好きなのである。 明日からは、後半戦が始まるので気分を新たにしてといっても、無理なくゆっくりとやっていこうと思っている。 ありのままに あるがままに |
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| 2004年 8月 30日(木) 朝から台風16号の接近にともない、天気が悪い。 市内の小中学校は臨時休校となり、2学期の始業式は明日に延期。 1日延びた夏休みに、子どもたちは嬉しそうであった。 職場も臨時休職になるのを期待したが、さすがにそうはいかない。 今日は1週間ぶりの出勤。 休暇も挟んでの久しぶりとなったので、朝が少々辛かった。 夏休み中は気のせいか道路の交通渋滞も少なかったように思ったが、今日はいつもの込み具合が戻っていた。 台風の影響でなんとなく落ち着かない一日を過ごし、退勤時間を待って速攻帰路についた。 今もだんだん風と雨が強くなり、今夜最接近するという予報が出ていた。 |
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| 2004年 8月 29日(日) 昨日、今日と、夏の疲れとキャンプ疲れが残り、2日間久しぶりに外出なしで家の中でのんびりと過ごした。 夏休み期間も、といっても実際には休みではないのだが、今日で終わりだと思うと寂しい気がしている。 この8月は土日にも家を留守にすることが多かったので、久しぶりにのほほんとした休日を過ごすことができた。 たまには、このように何の予定もないすごし方も必要である。 毎日こんな暮らし方ができたらいいなと思うこともあるが、それは遠い先のことになりそうである。 |
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| 2004年 8月 27日(金) 8月25日から今日まで、2泊3日の家族キャンプに行ってきた。 いつもの年なら2、3回キャンプに行っていたのだが、今年は家族間の日程が合わなかったので、ようやくこの日程がとれた。 1日目は、サイトの設営と買い出し、温泉行き 2日目は、近くの公園内でグランドゴルフ、温泉へ 3日目は、サイトの片付けと温泉 我が家のキャンプは温泉とセットで計画している。 温泉上がりのビールの味は格別である。 夏の暑さの中でのキャンプであっても、温泉に入るととても気分がいい。そして自然に包まれてすごすことがとてもリフレッシュできるのである。こんなとき、人は自然の中で人になれるのだと感じる。 子どもたちも大きくなってきたので、いつまで続けられるかは分からないが、夏の行事として外すことはできないと思っている。 今度は、春・秋キャンプも計画してみたい。 |
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| 2004年 8月 22日(日) 今日は朝から子どもの学校の奉仕作業。 空は曇りで出はあったが、梅雨のような蒸し暑さで、まるでジャングルのような中での作業となった。 学校はこうやって保護者の協力があってはじめて成り立つものである。 知人と話をしながら、草刈り作業と溝さらえ作業を行った。 8月もあと1週間だ。 |
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| 2004年 8月 21日(土) 昨日の夜、PTA主催の講演会に参加した。 講演の内容はごくごく常識的なことばかりで、個人的には物足りなさもあったが、メディアリテラシーに関して分かりやすい話し方であった。 その中で印象に残ったのは、2つ。 1つ目は「メディアもITも単なる道具の一つである」ということ、それとうまくつき合えるかは使う人次第である。 2つ目は「あまっている予算なんてどこにもない。何に優先して予算を使うかだ。」「予算を何に使うのかは、その人の考え方次第だ。」ということ。 みんなが有り余った時間などもってはいない。 何を優先して時間を使うかが問題。 みんながいつだって忙しい。 忙しい中で、時間を何に使うのかは、その人の考え方次第なのである。 その後の懇親会で、小中学校のPTA会長さんたちと一緒に飲みに行った。 PTA会長という立場での思いもいろいろと聞くことができ、いつもきまったメンバーでの飲み会とは違って面白かった。 PTA会長というのは、本当に大変な仕事なのであるが、みなさんが熱い思いを持っておられ、学校に対する、子どもに対する熱意がひしひしと伝わってきた。 あまりにも楽しかったので、予定時間もとっくに過ぎさって、帰ったのは午前2時を回っていた。 IT活用の推進が叫ばれてはいるが、何よりも顔と顔を向かい合わせてのコミュニケーションに勝るものはない。 これからも、一保護者としてPTAの取り組みと学校運営にも協力していきたいと思っている。 このような機会を設定していただいたPTA役員のみなさんに感謝している。 |
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| 2004年 8月 19日(木) 昨日から1泊2日の研修会に参加した。 ブリーフセラピーに関する研修であったのだが、そこでも人との出逢いがあった。 見ず知らずの他人であるにもかかわらず、2日間の関わりを通して身近な存在になっていく。 そんな体験をすることができた。 他人の思いを聴き、自分の思いを語る心地よさを感じた。 人間って決して捨てたもんじゃないなと感じた。 またの再会が終わったときから楽しみになった。 また自分のことが好きになった。 |
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| 2004年 8月 16日(月) 今日もまた、昨日に続いて研修会に参加した。 私の生き方のキーワードのひとつは、"つながる"である。 いろいろなことに興味があるが、今一番興味のあることは「人」である。 これまでにも、人とのつながりを求めて、いろいろな会に顔を出して新しい人との出逢いが一番の楽しみになっている。 今年の夏にも、本当に様々な人たちとの出逢いがあった。 その中で感じたことは、自分が参加したほとんどの会において、「初めて出逢った人だという感じがしなかった」というのは不思議な感じである。 「自分が求めていたものがここにある!」という運命的なものさえ感じることもあった。 「どこどこに○○さんがやってくる」と聞いては出かけ、どこどこにも元気な"おばさん"がいると聞いては自宅まで訪ね、即決でその人の紹介でまた別の人に会いに行く。 そんな毎日を過ごしている。 本当に「人」というものは面白い。 会う人会う人、全ての人が違っているのが面白い。 そんな人たちとのやりとりが楽しくてしょうがない。 いろいろな人と交流をして、さらに人のネットワークの輪が広がっていくことが嬉しくてしかたがない。 そのため、また新たな「つながり」を作るために、新しい出逢いを求めている。 これからも、みなさんとの出逢いが楽しみである。 |
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| 2004年 8月 15日(日) 「白神の夢」という映画を観た。 上映時間200分という大作映画である。 「白神の夢」というのは、秋田県八森町の後背地に広がる世界自然遺産・白神山地によってもたらされる様々な命の連鎖と、それを育む豊かな森を描いたものである。そして、白神山地という「自然」の素晴らしさとともに、そこに住む人々の日常の暮らしと、新たな地域再生に取り組み始めた人たちの姿を記録していった長編ドキュメンタリー映画である。 その中に、ミュージシャンの坂田明が登場していた。 地元の小学生達といっしょに「ミジンコ」の授業をしている。 そんな場面を観ながら、こんなことを感じた。 坂田氏は言う。 「ミジンコはミジンコをしている。人間は人間をしているか?」 「人間をする」とはどういうことだろう? ミジンコも宇宙、人間も宇宙。宇宙もミジンコ、宇宙も人間。 海も人間、山も人間。みんな命ということ。 命を生む命、命を育む命。 人間も命。 海、山、森。 人間も、その中のひとつなのであるということ。 それを自覚し、生きることが「人間をする」ということ。 「人間のあり方、人間が人間をすること」を伝えることの大切さが分かったような気がした。 この映画を通して、地域、自分のふるさとを愛すること、ふるさとを想うことがいかに大切なことであるかを再認識した。 |
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| 2004年 8月 14日(土) たいていの年なら、お盆頃から涼しさもでてくるが、今年の夏はさすがに暑い。 そんな暑さの中で、今日は、朝から2人の小学生の「自由研究」のアシスタントをした。 研究テーマは前から決めていたようであるが、実際に取りかかるのは今日からである。 内容は2人に任せているので、必要なものをこちらがそろえるようにして、その内容までには立ち入らないようにしている。 評価をするのは、親でもなく教師でもない。自分自身なのである。 だから、どんな内容になろうと本人の満足感が大切なのである。 決してこちらから道順を教えるようなことをしてはいけない。 そんな思いで2人の進行状況を見守っているところだ。 |
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| 2004年 8月 13日(金) 今日もお盆とあって、朝の交通量は極めて少なかった。 ほとんどの人が今日からお盆休みに入っている。 今日は、いつもの仕事とは違って、Flashで自分の作品作りをした。 Flashには以前にも取り組んでいたのだが、攻略しきれないままにそのままになっていたが、先日Flash作品を目にすることがあり、再び興味の虫が騒ぎはじめたのである。 もともと、絵を描いたり工作を作ったりすることは好きだったので、このような形で自分のもつイメージを形にしていく作業は楽しい。 ひとつひとつの部品作りから組み立て、ストーリー作りまで、自分一人の世界に没頭することができる。 いわゆる「職人感覚」とでもいえる姿である。 そんなこんなで、数種類の作品ができあがった。 Webにもアップしてみたが、まだまだ試作段階なので公開はしないことにした。 一日だけではまだまだ完成には程遠いが、今は一冊の絵本をFlashで作ろうとしているところである。 登場人物の動きがあると、絵本も楽しく生き生きしたものになる。 そして、それらの音楽も入れると、もっと楽しい絵本になると思っているので、今年はこれもひとつの目標として頑張ろうと思っている。 |
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| 2004年 8月 12日(木) さすがにお盆の週とあって、朝の通勤渋滞はほとんどなく、あっさりと職場に到着した。 月末に家族キャンプを予定しているので、今日・明日は出勤にしている。 とはいうものの、さすがに人が休みをとっている中での勤務というのは辛いものがある。 午前中は、今までの研修の中間まとめのプランを作成、午後はそれらの中で自分の思いを書く部分の下書をした。 ほとんどがひとり籠もってのパソコンとのにらめっこになったので、さすがに肩こりがひどくなった。 今日(正確には明日だが)の深夜2時20分からオリンピックのサッカー日本戦があるので、ビデオ予約をセットして寝ることにする。 |
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| 2004年 8月 11日(水) 今日は、「小学校英語」に関する研修に参加した。 講議の内容をまとめていうと次のようになる。 「そもそもなぜ小学校で英語をやるのかを考えないといけない。母語では慣れっこになった他人とコミュニケーションする喜びを、未知の言葉で再確認することに意義がある」 「児童の英語に対する『壁』が低くなってきたと思う。相手との意思疎通が難しい言葉(英語)をあえて体験させることで、コミュニケーションの大切さ、楽しさを学んでほしい」 そして、以下のような課題についての話を聞くことができた。 ・カリキュラムをどのように作成すればいいのか? ・子どもたちは、小学校の英語の導入につまずかないだろうか? ・ALTとのよりよいパートナーシップを作るにはどんなことに気をつければいいか? ・小学校現場でこそできる英語活動とは何か? ・小学校でやっていくべき英語活動とはどのようなものか、なぜ、今小学校で英語活動に取り組むのか? 講師の話から、「小学校英語に関わってきた指導者として大切だと感じたこと」をまとめておく。 (1)児童の視線まで、自分の視線を下げること (2)動作は大きく、顔の表情は豊かにすること (3)短い文を、何度も繰り返し使うようにすること ゆっくり話すのではなく、何度も繰り返すこと。 そして、児童がそれを理解できないときは、別の簡単な言い回しで表現し直す。 つまり、英語力が必要だということである。 (4)児童が理解しやすい状況設定をすること 英語対日本語で理解させるのではなく、指導者が伝えようとしている内容を児童が理解できるような状況を設定 することが大切である。中学校では、その時間に生徒に理解させ、使えるようにさせたい英語表現が先にあり、 それに合う状況を作ったり活動を行ったりすることが多いようだが、小学校では状況や活動が先にあり、その中 で児童は、活動を進めるために必要な表現、自分の思いを伝えるための表現を獲得していく。 (5)いつも児童を授業の主役におくこと 児童が言葉を獲得できるような状況とは、たとえば、会ったことも聞いたこともない、中学校の英語の教科書に 出てくるような 外国人たちが作り出すものではない。 それは、児童が主人公になって作り出すものだと思っている。 (6)「すぐに英語を話せるようになるのではない」ということを認識すること 小学校で英語活動が始まったからといって、児童がすぐに英語が聞けて話せるようにはならないということを、指 導者も保護者も知っていることが大切。 今日一日、参加者相互の演習も取り入れた実に有意義な研修会であった。 |
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| 2004年 8月 8日(日) 今日は、一日前々から待ちに待っていた研修会に参加した。 子ども家庭教育フォーラム代表、教育カウンセラーの富田富士也氏による研修会である。 彼には、著書を読んで以来前々からぜひ会って話がしたいと思っていたが、この夏松江の地でその機会に恵まれた。 今回の研修課題は『カウンセリング&コンサルテーション研修会』。 テーマは『学級・仲間づくりに役立てたい 人と人とを紡ぎあう“コミュニケーションワーク”』である。 その内容は、あまりにも衝撃的で、時間が過ぎるのがあっという間であった。 今回の内容の中心は次の2点である。 ・子どもや保護者との人間関係づくりのコツをコミュニケーションワークを通して体験すること ・不登校・引きこもりから“すぐ”抜け出せるカウンセリングスキルを身につけること 参加者は教育関係者(保育士、小・中学校教員、教育相談員)で、約30名が集まった。 その中で、家庭、学校、会社、地域など私たちの「居場所」において、私たちがこのように「受容され、肯定され、希求され」ていて、そのことを自分自身が確信を持って認めることができれば、多くの対人関係に根ざす苦しみや悩みは消すことができるはず。 ほんの少しの勇気と言葉で、そういう場を作ることができるという話をされた。 そのためには、まずは自分自身の「弱さを語る」ことだと。 「弱音を吐ききったとき、未来は開ける」という言葉に強い励ましを感じた私であるが、まだ「弱さを語る」までには至っていないと思っている。 他人の前では、自分を大きく見せようとしたり、不安を見破られないように隠したり。 しかし、富田氏の言葉(というより、思いの伝達)を通して、とても「楽」になったというのが「毛穴を通した実感」である。 「思いが心に響く、魂で感じる」とは、こういうことなのだろうと思った。 今までにもいろいろな人との出逢いがあったが、富田富士也という人は、自分にとってトップクラスに位置する人であると確信している。 次回は10月に再会の約束をした。 彼との再会が今から楽しみである。 |
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| 2004年 8月 7日(土) 今日は、午後1時30分から「子どもフォーラム」という会に参加した。 子どもの権利条約批准10年目ということで、子どもたちの脚本による劇の上映と東京シューレの奥地圭子さんの講演とがあった。 前半の劇は、素人とは思えない演技力で、配役をみごとに演じて伝えたいことがはっきる伝わってきてとても感動した。 子どもたち自身が子どもの権利条約を生活の場に生きることをめざして取り組んでいる。 子どもの権利というのは、決して特別なことではなく、「子どもがひとりの人間として認められる」という当たり前のことを唱ったものである。 しかし、実際には子どもだからというだけでいろいろな権利を剥奪されている事例が少なくない。 いじめや不登校の問題は、子どもには責任のないことである。 歪められた大人社会の犠牲の下に置かれているのが子ども社会であり、子どもたちは無責任な無関心な大人たちの犠牲者なのである。 そんな思いを一生懸命の劇で伝えようとしている姿には思わず大きな拍手を送りたくなった。 また、これからも彼らとつながり続けたいとも思った。 次に、奥地圭子さんの講演である。 我が子が不登校になったことをきっかけに、社会の不合理や矛盾を直視してきた奥地さんならではの視点で話が進んだ。 彼女の根底にあるものも、「まず子どもありき」である。 子どもが中心に置かれていない今の学校や地域のありかたに問題があるという主張は、聞いていて同感することばかりであった。 子どもの存在そのものを素直にありのままに認め、ひとりひとりの学習権を保障すること。その実現のために東京シューレを開校し現在に至るまでの苦悶と苦闘の日々を語っておられた。 自分自身が悩み、苦しんだお陰で、社会の矛盾や不合理をきちんと見極めることができていることに気づかされ、自分の考えていることが確信に変わってくるのを感じた。これからも、今まで通り自己主張・自己開示を続けていっていいのだと意を強くすることができた。 この会場には、日頃からつきあいのある不登校の親子数人も見えていて、声をかけ合って話しもできたし、個人的にいろいろな学習会にも顔をだしているが、その会の方にも会った。 問題意識をもっている者達がこのような場で思いを出し合えることがとてもすばらしいことである。 それこそ、この場では忌憚のない本音の語り合いができているのである。 立場を超え、役職を超えたひとりの人としてのつき合いができているのである。 そんな場であるからこそ、自分の居場所としてあることにとても感謝の気持ちで一杯である。 みなさん、ほんとうにありがとう。 |
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| 2004年 8月 5日(金) 今日は、久しぶりに所属校へ情報交換に行った。 みなさんがとても忙しそうに仕事をしている中で、申し訳なさそうに声かけをした。 自分が今やっていることを学校現場でなんとか役に立てたいと考えている。 来年度は自分も現場に還るので、そのときに少しでも役に立てたいと思う。 結局1日中、今までの取り組みについて自分なりにまとめていった。 終日デスクワークというのは、とても辛い仕事であるが、ここはエアコンが入っているので快適に過ごすことができた。 |
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| 2004年 8月 4日(水) 今日も、昨日に続いて午後7時30分から「子どもの教育を考える会」に参加した。 昨日とは別会場で行われ、エアコンがきいていてとても過ごしやすかった。 会が始まってから、さっそく昨日用意しておいた質問を投げかけた。 主催者側からそれなりの回答が得られたことは、収穫であった。 他の参加者からも多数の意見が出され、昨日よりは濃い話し合いであったと思っている。 このような場で、保護者・地域・学校・行政がつながっていくことはとても意義のあることであると思う。 お互いが罪のなすりつけ合いをするのではなく、それぞれの立場を理解し合って、お互いにできることをしていくことによって、子どもの健全育成につながっていくと思う。 みんなが顔を寄せ合って、語り合うことからしかはじまらない。 昨日はなんだか悶々としながら帰ってきたが、今日は自分の意見も言えたことによって少しは落ち着いてきた感じである。 人は語ることによってしか自己開示はできないのである。 |
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| 2004年 8月 3日(火) 今日は、午後7時30分から「子どもの教育を考える会」というのに参加した。 8月だというのに冷房もきかない会場で2時間以上話し合いをするのはとても疲れた。 しかも、その内容もあたりさわりのない無難なやりとりに終わり、もっと本質をついた話し合いが必要だと感じた。 司会者が「忌憚のない意見を出してください」と言って進行していたが、このような場で忌憚のない意見など出せるはずがないし、このような会で「忌憚のない」意見など聞いたことがない。まさに社交辞令につかうような言葉であると感じた。 暑さと期待はずれの内容で、すっかり疲れ切って帰路についた。 どうしても納得がいかないので、帰ってから自分の考えをまとめた。 それを持って、明日の会にも引き続き参加しようと決めて寝ることにした。 |
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| 2004年 8月 1日(日) 今日から8月。 早いもので、昨年9月にうつ病を自覚しはじめてから1年になる。 心療内科への通院も1週間間隔であったのが、今では1ヶ月間隔となり、薬に頼ることも少なくなってきた。 このホームページも自分病気の記録とともに、心の拠り所として続けてくることができた。 今では、ここを訪れた人たちとの交流もはじまり、掲示板やメールを通じての精神疾患に悩んでおられる人たちから相談を受けることも多くなってきている。 そのようなやりとり自体が自分の居場所になっており、この場を作ってよかったと思っている。 自分の体験したことが少しでもみなさんの役に立つことができたら、それこそ幸せである。 |
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