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2004年 6月 30日(水)

 
早くも、今年も半年がすぎた。
 特に、4月からの3ヶ月間は、本当に早く過ぎ去った感じがしている。
 この3ヶ月は、ゆっくりと自分自身と向き合えることができたことが何よりの収穫である。
 今後の自分自身の生き方、方向性が少しずつ見えてきたように思っている。
 具体的に何をどうしていくかは定まってはいないが、今の自分自身の行動が将来の自分にもつながっているという手応えを感じながら過ごしている。
 今年度も、いろいろな人との出逢いがあり、自分自身のネットワークも広がっている。
 そのいろいろな人との出逢いが、今の自分を作っているのであり、出逢いなくしては、このような考え方も今の自分も絶対にありえないことである。
 振り返ってみれば、自分自身がうつ病になったことが大きな転機になっていると思う。
 そういう意味では、うつ病になったことを本当に感謝している。
 自分自身がうつ病になったことを自分で褒めてやりたい気分である。
 うつ病になったことをきっかけとして、本当に様々な人たちとの出逢いがあり、彼らの影響を受けて生きている自分を感じている。
 うつ病以前の今までの自分にくらべて、より一層人を求める思いが強くなってきたし、自分で行動することの大切さを痛感し、実際に自分の足で着実に進んできていると思っている。
 環境は周りから与えられるのではなく、自分自身も環境の一部分として環境を変えていくことができるのである。
 だから、今の自分には満足感もあるし、生きていて充実感も感じている。
 昨日、ありのままの自分を受け入れることを書いたが、自分のもっている明るい部分と暗い部分、自分のできることとできないこと、知っていることと知らないこと、それらの両面があり、そのどちらもが自分自身なのであるということを素直に受け入れることができたことが大きな進歩である。
 本当に、うつ病に感謝である。

2004年 6月 29日(火)

 
今日も、なんとなく一日を過ごしたという感じであった。
 できるだけ前向きに向かおうとは思うのであるが、表面上は何事もないように装いながら、気持ちの上ではなんとなに落ち着かない。
 自分に素直でいることを大切にしたいと考えているので、ここでは素直な気持ちでいたいと思って、このように書き綴っている。
 ありのままに自分を受け入れるとは、こういうことなのだと思っている。
 どうしても、人間関係において自分を抑えることや自分を装うことを要求される場面があるのはしかたないことであるが、やはり自分らしさだけは失いたくはないし、何よりも自分自身にはウソをつかないで素直な自分でありたいと思っている。
 このようにかくことは、自分を責めることではなく、素直な自分自身と向き合うことができている証であると受け止めている。
 これもありのままの自分自身なのであるから。
 肉体的な疲労が精神的な疲労につながっている感じで、最近はどうも悪循環に陥っている。
 しかし、「こんな日もあるさ」と、軽く受け止めるようにしよう。

2004年 6月 28日(月)

 
また1週間のスタートである。
 6月の梅雨のうっとうしさと仕事の単調さもあって、心身共に体調の方はすっきりしているとは言えない。
 夏に向かうと、朝の目覚めも良くなるのであるが、最近は朝辛いことも少なくない。
 多少、自分自身でも鬱状態に陥っている感じがしないでもないが、なんとか前向きにやるしかない。
 仕事の方は、マイペースででき、まずまずの一日であった。
 それにしても、コンピュータとにらめっこ状態なので肩こりがひどく、それに伴う頭痛もなんとかしたい。

2004年 6月 27日(日)

 今日は、ようやく体調の方も回復に向かっているが、若い頃とは違ってなかなか完全回復までには時間がかかる。
 そんなとき、とても懐かしい人からメールが届いた。
 なんだか、ほんわかした気分になり、体調まで良くなった気さえした。
 その中で感じたことは、お互いに無理をするのはやめようということである。
 自分の背の丈のことをすればよい。相手のことや他人の目を気にしないで自分のペースを守ること、オーバーワークになりそうになったときは思い切って断ることも大切であること、とにかく無理は禁物であることをお互いに確認した。
 明日から、また1週間が始まる。
 自分に無理しないで過ごしていくことを心がけていきたい。

2004年 6月 26日(土)

 朝起きると、頭がガンガンする。
 さすがに昨日(すでに帰ったときは今日になっていたが)の「飲み」の影響があって、今日は一日ぼーっとして過ごした。
 昨晩のような日も久しぶりであったが、今日のようになにも考えないでぼーっと過ごす休みも久しぶりである。
 休みを待っていたかのように、どこかに出かけては人と会っていたが、こんな休みは本当に久しぶりである。

2004年 6月 25日(金)

 
夜7時半から、学年PTAの懇親会に参加した。
 今までもこのような会はあったのだが、今年が初参加である。
 今回は、今まで以上の方の参加があったようで、保護者同士そして先生方と一緒に飲みながら話をして、とても盛り上がった会であった。
 日頃、なかなか突っ込んだ話はできなかったが、このような場ではじめてお互いがうち解けて話ができることもある。
 今日は、はじめて顔を合わせる保護者の方や先生もあって、いろいろな人と近づきになれたことがよかった。
 予定には入れていなかったが、その会が終わってから、二次会として数人のものが近くの飲み屋に行った。
 先生方も3名来られて、懇親会の続きの話をした。
 保護者と先生方とお互いの本音を出し合い、ちょっと危険な状態にもなりかけたが、お互いに子どものことで熱の入った場となり、自分としてもとても気分良く飲むことができた。
 こうやって、自分の思いをぶつけあうことはとても大切なことであり、今後もこのようなつき合いを続けていきたいと思った。
 それにしても、さすがに疲れたが、こんなに飲みながら語り合ったのも随分久しぶりだったので、いい意味でのストレス解消にもなり、すっきりして眠りに入った。

2004年 6月 21日(月)

 
精神疲労というか頭脳疲労というか、少々体調不良である。
 毎日の仕事がデスクワークでパソコンとにらめっこ状態であること、勤務時間内の休憩時間はキッチリ12時から1時までの1時間であること、毎日体を動かすことがほとんどなく、運動不足であることなどが原因だと考えられる。
 一番大きいのが、「動けない」状態が長く続いていることだと思っているが、それがストレスとなって胃腸不良を起こしている感じである。休めるときには、きちんと体と心を休ませなくてはいけない。
再度、再発防止のための10項目を確認し、明日からの生活に向かいたいと思う。
 その中でも、今の自分にとっては以下の4項目に注意していきたい。
 
2.自分の性格傾向をよく自覚する
 4.ライフサイクルの変わり目に注意する
 7.趣味や運動などに時間をかける
 9.周囲や世間の目を気にしすぎない

2004年 6月 20日(日)

 今日は午後から映画「こんばんは」の上映会に行った。
 東京の夜間中学を舞台にしたドキュメンタリー映画で、そこに来る生徒達の人間としての生き様が生き生きと描かれていて、なんの飾りもない真の人の姿が映し出されていた。
 その中で、昼間の中学校に通う女子生徒が夜間中学に行くという場面があり、そのあとでインタビューがあり、こう答えていたことが印象に残った。
 「夜(の学校)はいいよ。昼間(の学校)とは、全然ちがう。私も夜に行きたい。夜の方がいい、雰囲気がいい、とっても楽しかった。昼間はねえ、ちょっと居づらいこともあるし、なんだか楽しくない。夜がいいよ。ぜったい。」
 本当に生き生きと答えていた。
 その後、森監督、平井雷太氏、元夜間中学校長のトークがあり、「教育とは」「生きるとは」という視点で話し合いを聞いた。
 人が学ぶとはどういうことか、本当の学びとはなにか、幸せに生きるとは何かなど、自分が聞きたいことがどんどん出てきて、とても得した気分で会を閉じた。
 その後、平井雷太氏が飛行機で帰京されるというので、出発の時間まで空港内のレストランで夕食をご馳走になった。
 彼とは3回目の対面であるが、彼の方から「話をしましょう。」と誘ってくださり、こうやって自分のためだけに時間を作っていただいた。
 全国を回ってたくさんの方と出逢っておられる中で、私のことを覚えてもらっていたことに感激してしまった。
 しかも、彼のスタンスも「人と人とは対等である。」という考え方である。
 それで、食事中も全く人と人として話ができた。
 今日の映画のこと、トークのこと、参加者についての思いなど、トーク中には聞けなかったこともズバズバ聞くことができて、楽しかったし、お互いの教育に対する熱い思いをぶつけ合うこともでき、とても充実した時間であった。
 こちらが本音で話すと、相手も本音で話してもらえる。そんな対話がうれしくてたまらない時間であった。
 次回の再会を約束して東京行きの飛行機を見送った。

2004年 6月 19日(土)

 今日は、地元であるエンカレッジの会に参加した。
 アドラー心理学についての実践研究をしている者達の集まりである。
 そこで、とても懐かしい人に再会した。
 小中学校時代の同級生(女性)である。
 中学を卒業して以来なので、30年ぶりである。
 お互いの第一声は、「変わっとんならんなあ」。
 なんだか、気持ちがほんわかした気分になっていた。
 今日は、アドラー心理学のひとつのワークを体験した。
 自分の短所を長所としてとらえようとするゲームであった。
 「自分では短所と思っていても、それは同時に長所でもある」ということが再確認できた。
 物事を一方から見るのではなく、多面的な味方の大切さを再認識した。
 今日もまた、新たな人とのネットワークが作れたことに感謝している。

2004年 6月 14日(月)

 
東京滞在最終日。
 午前中は、また大学の友人と会った。
 彼とは、自分の結婚式で会って以来になるので、16年ぶりの再会である。
 12日の夜の会にも誘ったのであるが、彼の事情もあり、今日2人だけで会うことにした。
 彼とは、学生時代から深いつながりがあり、お互いの産まれ故郷にも行ったりしている仲である。
 今は、いろいろな事情が重なって辛い思いがあると聞いていたが、直接話をしていて、「幸せな生き方とは何か」について、またあらためて考えることができた。
 彼は私とは違って本当に物知りである。社会情勢、芸能情報、スポーツ関係、歴史関係などなど、本当にいろいろなことを知っている。
 自分の知らないこともポンポン飛び出して、いろいろな考えを聞きだした。
 今、彼は自分の目標に向かって一直線に進んでいる。
 私も、陰ながら応援している。
 帰るときには、東京駅の新幹線の改札まで送ってくれた。
 そのときの彼の寂しそうな目が気になりつつも、東京を後にした。
 近いうちに、彼の成功を祝って飲みたいものである。

2004年 6月 13日(日)

 昨日に続いて、終日野田氏の講演会に参加した。
 昨日も感じたことであるが、彼のスタンスは「何人も対等である」というもので、参加者の中にはいろいろな立場や役職の人がいるが、そんなことはどうでもよく、お互いに人と人しての場作りの中で話をされていることである。
 決して権威や自分の立場でものを言う人ではない。
 今日の話題は、「スピリチュアル・タスク」について。
 科学と心、マテリアルな世界からスピリチュアルな世界への転換、歴史的・社会的な視点に立ったスピリチュアルな世界についての話を聞くことができた。
 彼は精神科の医者であるが、彼の世界観の大きさを感じた。
 今日の講演と質疑をまとめると、以下のようになる。
1.世界をありのままにとらえるトレーニングが必要である。それは瞑想(世間一般で言われている瞑想とはちがう)でしか得られない。
2.人は人間関係の中で生きている。
  共存共栄、環境・風土の中で、それらに影響を受けながら生きている。
3.バランスのとれたくらしが大切である。
  できる人もできない人も、なまけものもがんばりやさんも共生できる社会
  そこそこ便利、そこそこリッチ、そこそこできる社会で十分
4.マテリアルリズムからスピリチュアルリズムへの転換が必要
  生き生きとした生命のある、バランスのとれた、みんながのんびりした世界を構築していく必要がある
5.決して自分の考え方を他人に押しつけないことが大事


 しかも、彼の講演をホームページ上にアップすることに対しても、快く承諾を受けた。
 「あなたの書くことは、私の考えをあなたというフィルターを通じて伝えていることなのであるから、私に許可など必要ない。」と言うのである。「あなたにはあなたの世界があるのだから。」
 すごい人である。
 巷では、「立場がどうの、著作権・肖像権がどうの」などと言われている中、自分のことを勝手に書いてもOKだと言うのである。

 夜は、千葉に移動して「抱っこ法」を実践しているぴっかりさんと対面した。
 日頃は忙しい教育相談活動をされているのであるが、今日は私のために時間を作ってくださった。
 前々からメールのやりとりや電話で話したりしていたので、初対面という気はしなくて、お互いのことを知った上での話をすることができた。最近のこちらの状況や彼の出逢った親子、そして家族のことなど「自分の幸せ、みんなの幸せ」に関して心から語り合うことができた。話していて思ったことは、人は自分のことをそのまま受け止めてくれる人、自分の思いを本音で吐き出せる人の存在の大切さを、あらためて感じることができた。
 自分の弱さを隠すことなく出すことのできる人の存在は大きい。
 そんなことを感じるとき、とても幸福感を覚える。
 本当に生きていてよかったと、心のそこから感じることができている。
 そんな人がたった一人でいい。誰にもそんな人の存在があれば、世の中はもっと変わっていけると信じている。

2004年 6月 12日(土)

 今日から2泊3日の予定で、東京行きである。
 在来線と新幹線を乗り継いでいく予定であったが、線路上に土砂崩れが起こったというので、途中の駅で1時間待たされ、バスの代替え運転となり、途中の駅で再び在来線特急に乗り換えた。
 総時間にして、3時間あまりの遅れで新大阪に到着、そこからのぞみに乗り換えて東京へ向かった。
 予定していた会の開会には間に合わなかったが、遅れて会場入りした。
 その会とは、野田俊作氏のオープンカウンセリングである。
 約30名ほどの参加者があり、各自がいろいろな「問い」を野田氏に投げかけては彼なりの考え方を聞いていくものである。
 聞いていて、野田氏と私自身に共通している思いがあることを感じた。
 ここでは詳しく書かないことにするが、「人が人として生きていくこと」に関して、いかに周りの目や反応を気にして過ごしているか、自身で納得していないことを優先して生きていることが少なくない社会である、などなどとても惹かれるカウンセリングであった。
 明日も引き続き、野田氏の講演会に参加するよていである。

 夜は、2年ぶりに大学の数人の友人に会って飲んだ。
 卒業してから20年が経つが、学生時代の友人というのは本当にいいものである。
 現在彼らは、関東地区で小学校の教員や役所に勤めている。
 主婦をしながら仕事に頑張っている人もいる。
 飲みながら、お互いの思いを出し合ったり、各地の状況についての情報交換をした。
 みんな、いろいろな思いや悩みを抱えながら仕事をしているのである。
 しかし、それぞれが自分の夢をもち、大きな目標を達成するために頑張っている。そんな思いがひしひしと伝わってきて、こちらもついつい自分の夢を語っていた。
 学生時代にも、飲みながら将来について語り合うことはあったが、当時とはまた違った視点で語り合うことができ、心から楽しくて充実した時間を過ごすことができ、幸福感を感じて宿泊先のホテルへ向かった。
 人とのつながりに感謝である。

2004年 6月 8日(火)

 
「何のために生きるのか」
 そんなことを今日は考えていた。
 そんなとき、「あなたが人生の主役になるために」というメッセージを見つけた。
 以下、一部引用する。

 
私が、私自身の人生の主役になるために 

 上司の命令でしかたなく働いている人がいます。
 お金のためだけに働いている人がいます。
 親のご機嫌取りだけのために生きている人がいます。
 薬やアルコールに操縦されている人がいます。

 入試のためだけの勉強。
 彼に捨てられないためだけのセックス。
 人にバカにされないための虚勢。
 仲間に入れてもらうためだけのユーモア。
 人に好かれるためだけの良い子。

 自分の中で、自分を縛る、不安。
 自分の中で、自分を縛る、義務感。
 自分の中で、自分を縛る、バチを与える神、呪い、運命。
 あなたの人生を奪うマインドコントロール。

 私はいったい何のために生きているのか。
 もちろん、人の言うことをきくことも、お金のために働いたり、入試のために勉強したり、好かれるように努力することも、義務感も、悪いわけではありません。
 あなたが、あなた自身のかじ取りをきちんとしているならば。 

でも、傷つき、疲れていく中で、あなたの人生が、あなたのものでなくなってしまうことがあります。

 
自分自身のために生きているはずが、他人の視線を気にしたり、立場上の振る舞いをしたり、いかに自分自身を演じて生きていることが多いことであろうか。
それは、決して大人だけではなく、子どもたちにもいえることなのである。
 大人にとって都合の「いい子」を演じながら生きている子どもたち。
 大人は、決して子どもを(いい子を演じる)「いい子」に育ててはいけないのである。

2004年 6月 7日(月)

 
「普通の子」っていったいどんな子のことなのだろう。

 毎日のように報道されている「長崎・佐世保小6女児殺害事件」。
 報道されているいないに関わらず、いつも頭の中に浮かんでいるできごとである。
 学校関係者、児童相談所など事件に関与する教育関係者からは、「普通の子でした。」「仲の良い2人でした。」という見解が出され、「普通の子の犯罪」として、全国を駆けめぐってしまった。

 いったい、「普通の子」とは何を基準に、どんな子どものことをいうのであろう。
 「普通の子」が同級生の友だちを「殺そう」と考え、実行してしまえるのだろうか。
 私自身は、はなはな疑問であり、「普通の子が殺人」できることなど信じられないし、信じたくもない。
 このようなことに至るまでには、多くの「サイン」や「予兆」があったはずである。

 これも、あくまでもメディアを通した情報から判断しているのであり、新聞報道がどこまで信憑性があるのかも疑わしいのであるが、今の子どもたちがやっている様々な「問題行動」を「誰もがすること」として見ていたのでは、この事件の「加害者」のとってきた「問題行動」は、「異常である」とまでは見られていなかったのかもしれない。
 そして、誰もが、学校の教師も親でさえも、まさか「子どもが友だちを殺す」という危機感を感じながらくらしているなんてことはあり得ない。
 「予兆」はあったとしても、それが殺人に至るとは、考えもよらないことなのである。
 そんな視点で子どもの「問題行動」を見てはいなかったのである。
 「まさか、まさか」の出来事なのである。

 私は、「普通の子」だったとは思えない。
 その子を「普通の子」ではなくした社会環境にも目をやるべきだと思っている。
 それだけ、社会が病んでいることの象徴であるととらえることもできるのではないだろうか。

 大人一人一人に突きつけられた大きな課題である。
 今までの「子どもの事件」もそうであったように、今回の事件も決して忘れるようなことがあってはならない。

2004年 6月 6日(日)

 昨日のお酒がまだ残っている感じで、今朝は辛かった。
 二日酔いというよりも、昨日は一日中太陽の下で過ごしたので、その疲れも残っている感じである。
 ただ、久しぶりのまとまったアルコールが入ったので、体の方も驚いたのであろう。
 今日は、午前中はのんびり過ごして久しぶりに何もない休日を過ごした。
 来週には、前々から会いたいと思っていた人に会うために東京へ行く予定である。
 久しぶりに学生時代の友人とも会ったり、今までに直接会いたかった人にも会って話ができるので、とても楽しみである。

2004年 6月 5日(土)

 今日は、雨のために1週間延びた勤務校の運動会に出かけた。
 久しぶりの晴天で、コンディションとしては暑すぎる一日であった。
 しかし、子どもたちが一生懸命に元気で動いている姿を見るのは気持ちがいいものだ。
 思わず「ガンバレ!!」と、自然に拍手を送りたくなる。
 そして、本当に久しぶりに体を動かしたが、予想以上に体力の衰えを感じてしまった。
 ちょっとした競技に出て少しばかり走っただけであるが、「心臓がやばい!」という感じであった。
 前にも書いたが、本気で体力作りを始めなければいけないと痛感したので、来週の月曜日から、帰宅後に軽いウォーキング程度から始めようと思っている。
 精神的な安定も大事であるが、今はそれ以上に体力の方が心配になってきた。
 夜は、職員で運動会の慰労会があった。
 まだ薬を服用中ではあるが、今回は久しぶりにまとまったアルコールを飲んだ。
 やはり、汗をかいた後のビールは格別である。
 夏までには、アルコール解禁をめざしていたので、今日は特別に自分に許可した。
 その上、久しぶりに二次会にまでつき合って、楽しい時間を過ごすことができた。
 今はまだ「制限付き」のアルコール摂取であるが、梅雨明けまでの間に全面解禁をめざしたいと思っている。

2004年 6月 4日(金)

 
今日は、午後から年休をとって、定期通院をした。
 自分としては、今回で薬の服用は止められるかと思っていたが、結果としては、あと1ヶ月様子を見て決めることになった。
 来月こそ薬とサヨナラしたい。
 仕事の方では、一つのことに集中して研究しているため、どうしても読み物や考え方が偏りがちになっている。
 見るもの読むものがどうしても偏ってしまっている。
 それで、なんとなく自分の中でのマンネリ化現象を起こしている。
 毎日の生活リズムが一定していることは精神的にはいいことであるが、気分転換も必要だと感じている。
 そういう意味では、明日は運動会に参加できるので、楽しみである。

2004年 6月 3日(木)

 
昨日の午後、勤務校の職員会に参加した。
 4月の研修生活に入って以来、職員会に顔を出すのは久しぶりであった。
 たった2ヶ月ほど現場を離れているだけであるが、なんだか随分遠く離れてしまった感じがしている。
 そして、やはり「現場は忙しい!!」ということである。
 自分としては、研究の協力のお願いに行ったのであるが、なんだか忙しい日程の中に協力を依頼するのが申し訳ないような気さえした。

 確かにに本を読んだり、いろいろな人と話をすることも大切である。
 しかし、もっと大切なことは、学校現場での実践である。
 そのために、現場の中に身を置くこと、現場の実態をきちんと把握すること、形だけではなく、子どもの思いを受け止めることが大切であると、改めて感じた。
 自分で理論を学習したことが生きる実践をしていきたいと思っているが、久しぶりの現場実践でうまく対応ができるかが少し心配にもなってきている。
 このようなときこそ、自分のことを前向きに考え、プラス思考で行かねばならないと思っている。

2004年 6月 2日(水)

 
なんとも痛ましい事件である。
 何といっていいのか、言葉が見つからない。
 しかし、今の自分の思いを残しておこうと思う。

 今、長崎では想像を絶するほどの混乱であると思う。
 誰もが不安と緊張、危機感の真っ直中であるに違いない。
 今回の場合も、被害者、加害者という区別は使いたくない。
 どちらもが被害者である。
 2人の関係者全てが被害者である。

 今、大切なことは、全ての関係者を守って欲しいということだ。
 現場周辺では、毎日、24時間、報道陣やカメラが入っているであろう。
 そんなメディアからの「攻撃」からも守って欲しい。
 興味本位の「視線」からも守って欲しい。
 そっとしておくことがベストであるとは思わないが、興味本位や無責任な原因探りだけはやめて欲しいと思う。
 事件の真相は、まだ誰にも分かっていない。
 もしかしたら、当事者にも分からないのかもしれない。

 関係者をつつき回すことをやめて欲しい。

 子どもたち、学校、先生、地域、家族。
 全ての関係者を守って欲しいと思う。

 とにかく、「守る」ということが、今できることだと思う。
 彼らを取り巻く全ての物から「守る」ことが必要だと思う。

 そして、事件が起こる度に、「今後、このようなことがないように。」という教育関係者のコメントが寄せられているが、そのために私たち一人一人ができることは何なのか真剣に考え、自分でできること、子どもを取り巻く環境を本気で改善していくことが必要である。

 はっきりいって、今の学校現場は忙しすぎる。
 それは、どこの学校でもそうであり、例外はないといってよい。
 本当に忙しすぎるのが、現実の学校現場である。
 「子ども一人一人に対応した指導と援助が大切である」ということは言われているが、今の学校現場では限界を感じている。
 教師一人一人の頑張りと努力だけでは無理なことが多すぎるというのが正直な思いである。
 そんな中で、毎日子どもたちも教職員もくらしているのである。

 では、何が必要か。
 まずは、何よりも「人」の配置が必要である。
 教師の多忙が要因であるということで片づけたくはないが、その点も改善の余地があると思う。
 そのためには、教育行政への切なる要望も訴えていく必要がある。

 そして、本当の意味での子どもを中心に置いた学校経営、学校教育が必要である。
 何よりも第一に子どものことを考え、そのために必要な施策を講じ、実行していかなくてはならない。
 今こそ、今までの反省の上に立ち、「子ども中心」という観点を第一にした学校作りをしていかなくてはならない。

 子どもにとって、本当に居心地の良い”居場所”を作ること。
 先生にとっても、明日も行きたい学校、子どもたちの笑顔の見える学校。
 親が安心して行かせることのできる学校。
 子どもにとっても、先生にとっても、親にとっても、「心から楽しい」といえる学校を作っていくことに本気になって取り組んでいきたいと思っている。

2004年 6月 1日(火)

 
いよいよ6月に入った。
 自分では、復職後6ヶ月は薬の服用が必要だと思っていて、一応今月がその目標の月である。
 今月は、いつものデスクワークだけでなく、実際に学校まで出かけての実践も始めていこうと計画している。
 今日は、そのための「実践協力のお願い」や「児童アンケートの印刷」をした。
 今までは、本やWebでの資料さがしや理論のまとめなどが中心であったが、今月は変化のある月になりそうである。
 どうしても単調な毎日の繰り返しであったために、自分でもマンネリ化の感じがあったので、変わったことができるのはいいことだと思っている。
 それと、精神的にはいい感じで落ち着いているが、健康面の方が心配なので、同時に体力作りの方も実行していきたいと思っている。