国立療養所 邑久光明園を訪ねて         2004.9.17

 岡山県邑久郡邑久町の国立療養所邑久光明園で、2人の方とハンセン病の話をした。
 前半は、副院長の畑野研太郎さんから病気と差別、ハンセン病の歴史の話を聞いた。
 以前は、らい病と言っていたが、現在ではハンセン病と呼んでいる。
 病名とちょっとした知識だけは知っていたが、このようにきちんと学習するのは初めてのことであった。

・邑久光明園は第3区連合府県立の「らい」療養所として、明治42年4月1日に大阪府知
 事の管理による京都府、兵庫、奈良、和歌山、三重、滋賀、岐阜、福井、石川、富山、
 鳥取の2府10県により大阪府西成郡川北村(現在の西淀川区中島)の神崎川河口に
 収容人員300名で「外島保養院」として開院された。

・ハンセン病は、ライ菌による感染症で、遺伝はしない。

・ライ菌は感染力が弱く、療養所職員で感染した人はおらず、感染しにくい病気であり、プ
 ロミンという治療薬で治る病気である。

・隔離政策により、妊娠中絶や断種等々、いろいろと人権を無視するようなことがなされ、
 患者の皆さんは差別されてきた。

・全国には、療養所が国立で13カ所、私立が2カ所あり、県内には、ここと長島愛生園の
 2ヶ所があり、入所者数は、約264名である。

・1996年に「らい予防法」が廃止され、ハンセン病も一般の感染症としてあつかわれるこ
 とになった。

・2001年5月23日小泉首相はハンセン病国家賠償訴訟の熊本地裁判決について、控
 訴断念を表明。

・あらゆる差別は「南北問題」抜きには語れない。


 など、ハンセン病と畑野研太郎さんとの関わりについて、熱く語られた。
 人が人として生きることの厳しさや逞しさを感じた。

 午後からは、入所者の男の方(80才)の部屋を訪問して約2時間半の間、話をした。
 彼は、16才の時にやってこられたので、もう64年間ここで生活をされている。
 ここでは詳しくは書けないが、自分の生い立ちから今までを本当に詳しく話して下さった。
 話を聞きながら、いろいろな思いが頭の中を駆けめぐり、途中で涙が出そうになった。
 私たちに対して、全てのことを包み隠さず話をされたことで、こちらが勇気をもらうことができた。
 彼の生き方そのものがハンセン病の歴史なのである。
 これからも、共に差別と闘っていく決意を新たにした。
 副院長さんの話もだが、「知らないということは害である」と感じた。
 無知が差別を拡大していると感じた。

 その後、園内の見学をした。

・園にないものは、パチンコ屋くらいで、いろいろな施設・モノが揃っていて、1つのコミュニ
 ティという感触を受けた。
・それぞれの建物の中に個室があり、夫婦で住まれている方もあり、個人に病状に応じた
 仕組みが整っている。
・文化施設や畑等々、いろいろな個人の趣向に応じた選択も可能である。
・敷地内には心地よい音楽が流れ、視覚障害のある人への対応もなされている。
・園から見える瀬戸内海は、本当にきれいだった。丘の上には童謡が流れるようになって
 いて、歌を聴くと妙に郷愁を感じた。
・当時の監禁室や壁等の跡も残されていて、人権無視の様子が伺えるようになっている。
・入所者数は264人で、平均年齢は78歳である。


 ここには初めて来たのだが、生きることの逞しさを感じることのできる一日であった。
 本当に歴史の重さと共に、人権の重さを感じることができた。