子どもはみんな勉強したがっている、それを学校が勉強ぎらいにしている
2003.11.12

以下、林竹二さんの著書の中から出てきた言葉で、私が考えさせられ、共感したものである。
 「子どもはみんな勉強したがっている、それを学校が勉強ぎらいにしている。」
 「パンを求めている子どもに、学校は石を与えている。」
 「人間の子どもにとって、生きることは成長することであり、そして、成長することは、学ぶということを抜きにしては達成できないのだ。」
 「授業が子どもの深いところに持っているものを引き出すものとなっていないとすると、その引き出されないでいるものは、子どもたちの内部でただ静かに埋もれているわけではないのです。 子どもたちの持っている力が引き出されないと、それが暴発したり、歪んだり、いろいろな逸脱した形態をとって表出されることになるのです。」
 「教育がないということは、人間が人間にならないで、人間のばけものになってしまうことです。」
…略…
 私の所論には、三つほど私に自明と考えられる前提がある。 第一に、学校というものは子どものためにあるもので、教師のためにあるものではないということ。語を変えて言えば、子どもの教育のために設けられたもので、教員の職場として設けられたものではないことである。 第二は、教師は直接に人民にたいして責任を負ってその仕事にしたがっているのであるけれども、それは子どもの教育にたいしてであって、何か一定のことを教えることにたいしてではない。 第三に、教育という営みには、「教える」とともに「育てる」という要因があり、後者がより根本的なものである。 教育とは一言にすれば、幼い、あるいは未成熟な生命の心身にわたる成長を、すなわち自立を助ける仕事なのである……

 ここに上げた三つの前提をしめくくるように、「教育とは一言にすれば、幼い、あるいは未成熟な生命の心身にわたる成長を、すなわち自立を助ける仕事なのである」と私はじつに無造作に、そして、心なくも書き流してしまっている。それは湊川や尼工で学校教育のなかで無惨に切り捨てられつづけてきた生徒たちに出会ってはいても、このときには、まだこの間まで学校教育そのものからしめ出されていた重い障害を抱えた子ざもたちの教育が、私の視野にはいってきていなかったからである。この私の教育の定義じみた発言がどれほど心ないものであったかに気づかせてくれたのは、この本の出版される前後になって、偶然に知ることになった、福島県須賀川養護学校の重心訪問部の教師たちの実践であった。
 もし、私が軽々しく筆をすべらせたように、教育が「幼い、あるいは未成熟な生命の心身にわたる」成長を助ける仕事に止まらず、それがそのまま「自立を助ける仕事」でなければならないということになれば、重心訪問部の教師たちがかかわっている「わかくさ学級」に学んでいる子どもたちは、四十九年四月までそうだったように、みな教育の対象外として放置されておかれても当然ということになるからである。 かれらは「ただ生きている」ためにだけでも生活の全面にわたって他人の介助を欠くことができない、自立ということの考えられない子らであるからである。 しかし、私は、重心訪問部の教師たちの、自立の望みのない重症の心身障害児とのかかわりのなかに普通の学校教育のなかには絶えて見ることのできない、もっとも本来的な教育の営みがなされていることを知ったのである。 私は『学校に教育をとりもどすために』の序章の、先にくりかえして引用した文章につづいて、こう書いていた。

 教育を私は、基本的には、人間の子の人間として成長するのを助ける仕事だと考えている。 だから、生命に対する畏敬を欠けば教育は成立しない。 だが、日本の学校教育の致命的な欠陥は、生命への畏敬の念を欠いていることだろう。 これは神を畏れることを知らない精神風土のなかで、われわれが育ってきていることからの避けがたい帰結なのかもしれない。
 そのことが、日本の学校をじつに荒涼をきわめた世界にしてしまっている。 教育がなくて調教だけが教育の名においてまかり通っている。 そして、もっとも恐ろしいことは、教師たちがその言いようもない無惨な荒涼に直面しながら、それを異常と感じていないことである。……

…略…

 以前、私は、学校での教育は、子どもより教材ありきの考えであった。
 学校とは、学習する場であることは言うまでもないことであるので、「学習内容」を優先して 考えていた。
 しかし、子どもは当然のことながら一人一人が違う。違う個性の集まりであるのが学校という場である。
 であるからには、一人一人の思いや願いに応じてこそ「教育」と言えるのである。
 林竹二さんの以下の文章に出会って、学校に行かない子ども・学校に行けない子ども「障害」のある子どもたちは学校教育から排除されかねないことに気づかされた。
「いま授業を変えなければ子どもは救われない」 林竹二・遠藤豊著 太郎次郎社…より
林竹二さんの著書
「教育亡国」・「学ぶこと変わること」・「学校に教育をとりもどすために」・「教育の再生をもとめて」・「林竹二著作集」筑摩書房  「授業・人間について」国土社  「授業による救い」(正)(続)径書房  「いま授業を変えなければ子どもは救われない」太郎次郎社(遠藤豊との共著)  「教えることと学ぶこと」小学館(灰谷健次郎との共著)  他